大串章と対談。彼とはじめて出会ったのは、もう40年も前の京大宇治分校だった。




1998蟷エ11譛15譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

November 15111998

 ふと咲けば山茶花の散りはじめかな

                           平井照敏

ことに句の言う通りであって、山茶花ほどにせわしない花はない。「ふと」咲いたかと思うと、すぐに散りはじめる。散ったかと思う暇もなく、すぐに次々と咲きはじめる。したがって、いつも咲いているが、いつも散っている。桜花のように、散るのを惜しまれる花ではなくて、散るのをむしろアキレられる花だと言ってもよいだろう。古来、この花についてだけは、異常なほどに散る様子を詠んだ句が多いのもうなずける。作者の編纂した『新歳時記』(河出文庫・1989)にも、たとえば寒川鼠骨の「無始無終山茶花たゞに開落す」というせわしなさの極地のような句があげられており、他にも「山茶花の散るにまかせて晴れ渡り」(永井龍男)が載っている。我が家の庭にもコイツが一本あって、この時間にもしきりに咲き、しきりに散っているはずだ。散り敷かれた淡紅色のはなびらのおかげで、庭はにぎやかなこと限りなし。どこにでもあるさりげない存在の植物ながら、この時季の賑やかな山茶花には、毎年大いに楽しませてもらっている。「俳句文芸」(1998年11月号)所載。(清水哲男)


November 14111998

 朝餉なる小蕪がにほふやや寒く

                           及川 貞

語は蕪(冬の季語)ではなくて、この場合は「やや寒」であり、季節は晩秋だ。いまでこそ蕪(かぶ)は一年中出回るようになったけれど、元来は晩秋から冬にかけて収穫された野菜である。不思議なもので、この時期になると香りが高くなってくる。暑い時期の蕪には、まったく匂いがない。したがって、晩秋の朝の食卓に出されたこの小蕪は、さぞかし匂い立っていたことだろう。味噌汁に入れられたのか、それとも糠味噌漬けであろうか。どちらでもよく、読者の好きなほうにまかされている。やや寒の朝の実感が小蕪の香りと実によく釣り合っており、こんなときにこそ「よくぞ日本に生まれけり」と合点したくなる。蕪は小蕪もよいが、大蕪もよい。私は京都に暮らしていたことがあるので、巨大な聖護院蕪は忘れられない。普通でも2キロくらいの重さはありそうだ。京都名産千枚漬を作るアレである。ただ、今年は天候不順の影響で、聖護院蕪の収穫も大幅に遅れているという。したがって、まだ京都でも千枚漬はそんなに出回ってはいないらしい。毎朝のように見ているテレビ番組『はなまるマーケット』(TBSテレビ系)の情報による。(清水哲男)


November 13111998

 酒断って知る桎梏のごとき夜長

                           楠本憲吉

ィスキー一本くらいは軽くあけていたというのだから、作者は相当の酒豪であった。ために肝臓を冒され、「断酒という苦界に追放」されてしまった。酒好きの読者には、解説など不要であろう。秋の「夜長」の実感が胸をついてくるようだ。他にも俳句ともつぶやきともつかぬ「酒飲めぬ街にやたらに赤信号」があり、これまた酒飲みの心にしみてくる。自嘲的自解に曰く。「私が胃をやられたとき、今はもう故人の伯父が、『可哀相になあ。「たこ梅」のカウンターでおでんを肴に熱燗一杯やる人生の楽しみが、おまはんにはのうなってしまいよった。』ということばが、いまさら実感として思い出される」。それでなくとも長い夜の季節を、作者はどうやり過ごしていたのだろうか。というわけで、ま、おたがい「ほどほどに」やりましょうや……。ただし、この「ほどほどに」という言葉を酒飲みが大嫌いなことを、酒を飲まない人は知らないのだから、世の中は厄介である。『自選自解・楠本憲吉句集』(1985)所収。(清水哲男)




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