ボージョレ・ヌーボー解禁日。なんと生産量の十五分の一が日本に流れ込んでくる。




1998ソスN11ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 19111998

 足袋つぐやノラともならず教師妻

                           杉田久女

女の、あまりにも有名な代表作。ノラはイプセン『人形の家』の女主人公の名前で、彼女は「では、さようなら」と言って夫ヘルメルのもとを去っていった。旧家(愛知県西加茂郡)の嫁として、夫の赴任先である小倉で二児をもうけ、善良だが古い考え方を持つ教師である夫に仕えていた久女は、破れた足袋を繕いながら、かく自嘲する。「暗い灯を吊りおろして古足袋をついでいる彼女の顔は生活にやつれ、瞳はすでに若さを失つている。過渡期のめざめた妻は、色々な悩み、矛盾に包まれつつ尚、伝統と子とを断ちきれず、たゞ忍苦と諦観の道をどこまでもふみしめてゆく」。句もコメントも高浜虚子の俳誌「ホトトギス」誌上に発表されたものだが、こんなことを書かれては、いかに善良な夫でも、黙って見過ごすわけにはいかなかっただろう。親戚などの間でも、相当に物議をかもしたようだ。大正十年(1921)の作で、ときに久女三十二歳。たしかに当時の嫁の立場は、とくに久女のように東京で高等教育を受けた(東京高等師範学校付属高等女学校卒)女性には辛かったろう。その辛さはよく出ているが、しかし、人には「それを言ってはおしまい」ということもあるのだ。まことに悲しい名句である。(清水哲男)


November 18111998

 夕紅葉なにも雑へずかく窮る

                           竹中 宏

の人の句には、難しい漢字や読ませ方が多い。主宰誌の「翔臨」を読むときには、辞書を片手にということになる。しかし、よく読んでみると、たしかに難しい漢字や読ませ方が、作者の必然的な帰着であることが納得される。どうしても他の読みやすい漢字では代替できない境地が、そうさせているのだ。句の「雑へず」は「まじへず」と読ませ、「窮る」は「きわまる」と読む。つるべ落としの秋の日を背景に、紅葉が今日を最後とばかりに冷たくも鮮やかに映えている。このとき、「なにも雑へず」という言葉は雑木の紅葉を暗示しており、なにもまじえていない雑木という形容矛盾が、矛盾とは少しも感じられないほどに窮まっているという面白さ。やはり、これらの漢字が使われて、はじめて句は視覚的に凡庸を脱しているのである。作者は京都の人。京都には紅葉の名所は多いけれど、地元の人はそんなところをわざわざ訪ねたりはしない。この紅葉もそこらへんの紅葉、つまり雑なる場所の紅葉だろう。そこが、また好もしい。「俳句朝日」(1998年12月号)所載。(清水哲男)


November 17111998

 とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな

                           松本たかし

火は、ご馳走だった。昼間であれば紫色の煙のよい匂いがご馳走だったし、朝や夕方には冷えた手足を温めてくれるご馳走だった。句は夕刻のご馳走を味わっている間に、うかつにも日が暮れたのに気がつかなかったというところだ。ふと振り返ってみると、空は既に「とつぷりと」暮れてしまっていたのである。焚火の魅力が、とても美しく表現されている。誰にでも、こんな思い出はあるだろう。ところで、巽聖歌が詩を書いた「たき火」という歌がある。「かきねの かきねの まがりかど」という歌い出しだ。小学校で習った。これまた焚火をうたった名作であるが、川崎洋『大人のための歌の教科書』(いそっぷ社)によれば、この童謡の発祥の地という立て札が、いまも東京の中野区の旧家にあるそうだ。そういえば、焚火は都会の住宅地ならではの風物詩だった。揚句の舞台も、鎌倉である。農村でももちろん焚火はしたが、生活上必要不可欠の焚火には、実際的で繊細な抒情味には欠けている。それから「たき火」の作曲者は渡辺茂という方で、ご健在だ。私の娘はふたりとも、小学校で渡辺先生に音楽を教えていただいた。我が家の自慢である。最近は、ちょっと焚火をしただけでも警察に電話をされるという。もはや「とつぷりと」先に暮れているのは、人情のほうであるらしい。(清水哲男)




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