November 211998
帰り花鶴折るうちに折り殺す
赤尾兜子
新聞やテレビで、今年はしきりに「帰り花」が報道される。「帰り花」は「狂ひ花」とも言われて、異常気象のために、冬に咲くはずもない桜や桃や梨の花が咲くことを指す。いわゆる「小春日和」がながくつづいたりすることで、花たちも咲く季節を間違えてしまうというわけだ。この句には、平井照敏の解説がある。「『鶴折るうちに折り殺す』という表現から、われわれは、折り紙で鶴を折っているうちに、指先のこまかい動きに堪えきれなくなって、紙をまるめてしまうか、あるいは無器用に首を引き出すところでつい力を入れすぎて引き裂いてしまうかするところを想像するのだが、それを『鶴折るうちに折り殺す』ということばで表現するところに、兜子のいらだつ神経、あるいは残酷にまでたかぶる心理を感ずるのである。……」(『鑑賞現代俳句全集』第十巻・1981)。私もそうだが、たいていの人は「帰り花」に首をかしげながらも、どちらかというと明るい心持ちになるのが普通だろう。しかし、兜子は「狂ひ花」の季節に完全に苛立っている。このような鋭敏な感覚を指して、世間はしばしば「狂ひ花」のように見立てたりする。でも、この場合、狂っているのは、少なくとも兜子のほうではないのである。『歳華集』(1975)所収。(清水哲男)
February 252001
蒼白な火事跡の靴下蝶発てり
赤尾兜子
ふつう「蝶発(た)てり」といえば、明るい希望や期待の心などを象徴するが、揚句の蝶の姿はあくまでも暗い。火事場に残された焼け焦げて汚れた靴下のように「蒼白な」蝶が、ふらふらっと哀れにも舞い上がったところと読む。それでなくとも暗い蒼白な「火事跡」に、追い討ちをかけるようにして蝶の暗い飛翔ぶりを足している。「これでもか」と言わんばかりだ。このとき、読者には少しの救いも感じられない。やりきれぬ。このような感受性や叙情性は、詩人で言えば萩原朔太郎のそれに近いだろう。極端に研ぎ澄まされた神経が、ことごとく世間一般の向日性と摩擦を生じてしまうのだ。作者は新聞記者だったから、結局はどこかで世間との折り合いをつけなければならぬ職業であり、かといってみずからの感受性を放擲するわけにもいかず、そこで「蒼白」になりながら俳句を書いていたのだと、これは私の偏見かもしれないが……。でも、兜子はなぜ死ぬ(自殺・1981)まで俳句に執着したのだろうか。私の長年の素朴な疑問だ。揚句一句だけからでもわかるが、この程度の中身ならば詩ではむしろ凡庸なレベルにダウンする。逆に言えば、俳句に執着したがために、この内容で止まってしまったと言うべきか。詩で言えることを、無理に俳句で言おうとしているとしか思えない。だったら、俳句でないほうがよかったのではないか。なぜ俳句だったのか。その意味で、兜子にかぎらず、私がハテナと思う「俳人」は少なくない。眺めていて、詩の書き手は比較的俳句や短歌を読むが、ほとんどの俳人は詩を読まないようだ。関係がありそうな気がする。『虚像』(1965)所収。(清水哲男)
November 122004
近海へ入り来る鮫よ神無月
赤尾兜子
今日から陰暦十月、すなわち「神無月」。この月には、諸国の神々が出雲に集い会議を開くのだという。したがって、出雲では逆に「神有月」となる。議題はいろいろとあるらしいが、重要なものには人の運命を定めるというものがある。なかでも、誰と誰を結婚させるかについては議論が白熱する由。ただしこれは俗説で、「な」を「の」の意味にとって「神の月」とするのが正しいなどの諸説がある。それはともかく、神が不在ととれば、さして信心深くない人にも漠然たる不安感が湧いてくることもあるだろう。何となく心細いような意識にとらわれるのだ。そんな不安感を、いわば神経症的に造形してみせたのが掲句である。神の留守をねらって、獰猛な鮫が音もなく侵入してきつつある。それももう、すぐそばの「近海」にまで入り込んできたようだ。むろん陸地から鮫の姿を認められるわけではないが、そうした目で寒々と展開する海原を眺めれば、不気味さには計り知れないものがある。そんなことは夢まぼろしさと笑い捨てる読者もいるだろうが、ひとたび句の世界に落ちた読者は、なかなかこのイメージから抜け出せないだろう。妙なことを言うようだが、風邪を引いたりして心身が弱っているときなどに読むと、この句の恐さが身に沁みてくるのは必定だ。作者もおそらくは、そんな環境にあったのではあるまいか。『新日本大歳時記・冬』(1999・講談社)所載。(清水哲男)
February 202005
淡雪富士ひとつの素船出てゆくも
赤尾兜子
季語は「淡雪」で春、「春の雪」に分類。美しい写生句だ。作者名が伏せられていれば、前衛俳句の旗手として知られた兜子の句とは思えない。柔らかい春の雪が降りしきる富士の裾野の湖から、何の変哲もない一掃の船が漕ぎ出されたところだ。その「素船(すぶね)」は淡雪を透かして、静かに黒々と沖に向かっていく。無音、そしてモノトーン、さながら一幅の墨絵を思わせる情景だ。この句に触れて小林恭二は「しかしこの『出てゆくも』という反語は何なのでしょうね」と書いている(「俳句研究」2005年3月号)。「おそらく兜子は強めの表現として反語を使っているのではなく、余韻を響かすために反語を使っているのでしょう。そしてその余韻のなかにこそ、真に語るべきものがあると考えていたのでしょう。それはひょっとしたら俳句の本道かもしれません」。結局は同じ解釈になるのかもしれないが、私はこの解答のない反語を作者のニヒリズムの表白のように思う。眼前の世界が美しければ美しいほど、その美しさの生命は短いということ。まるで淡雪のようにそれははかなく消えてしまうのだという確信が、作者には(たぶん何事につけても)抜き難くあった。だから、ただ情景の美しさを句に定着させる気持ちなどはさらさらなくて、むしろ情景の滅びのほうに力点を置こうとしている。滅びの予感を詠み込む方法として、曖昧な反語を使わざるを得なかったのだ。すなわち、眼前の現在に未来をはらませる必要からの反語なのだろうと思った。『玄玄』(1982)所収。(清水哲男)
September 232005
機関車の底まで月明か 馬盥
赤尾兜子
季語は「月」で秋。「馬盥(うまだらい)」は、馬を洗うため井戸端に設けられた石造りの盥。大きくて浅いものだそうだが、私は見たことはない。「明か」は「あきらか」と読む。難しい句だ。そう感じるのは、常識では「機関車の底まで」と「月明か」がつながらないからである。機関車の底まで月の光が射し込んでいるのかな。まさか、そんな馬鹿な……。と、初読のとき以来私は解釈を放棄したままでいたのである。ところが、実は作者は「そんな馬鹿な」イメージで作句していたことが、つい最近になってわかった。近着の俳誌「豈」(41号・2005年9月)に出ていた堀本吟の文章に、兜子の自解が引用されていたからだ。こう書いてある。「私は俳句の場を途方もなく広漠たるところに設定することがある。光を通さぬはずの機関車の底まで月光は届くのではないかと思われるのである。微塵の隙間からでも光は入るのだ」。つまり、あまりに鮮やかな月光なので、それが機関車をも貫いているように見えるというわけである。煌々たる月明を浴びた機関車が、その巨体の底までをぼおっと光らせて停車しているのだ。その美しい機関車の傍には、かつて機関車に役割を取って代わられた馬たちのための盥がひっそりと、これまた月明に冷たく輝いている。なんと幻想的であり、哀感十分な光景だろう。しかしながら、このような解釈は自解を知ってはじめて成立したものである。素読でここまでイメージを引っ張り出す力は、私にはない。そのことを思うと、すっきりしたようでそうでもないようで……。『歳華集』(1975)所収。(清水哲男)
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