昨日の「エッフェル塔」につき、読者よりご教示いただきましたので付記しました。




1998ソスN11ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 25111998

 手袋を脱いで握りし別れかな

                           川口松太郎

同士の別れだ。いろいろな場面が思い浮かぶが、たとえば遠くに赴任地が決まり旅立っていく親友との駅頭の別れなどである。日頃は「手袋の手を振る軽き別れあり」(池内友次郎)程度の挨拶であったのが、もうこれからは気軽に会うこともできないとなると、お互いがごく自然に手袋を脱いで固い握手をかわすことになる。力をこめて相手の手を握り、そのことで変わらぬ友情を誓いあい、伝えあう。このような場合に手袋を脱ぐのはごく自然なふるまいだし、礼節の初歩みたいなものだけれど、脱ぐべきか脱がざるべきか、判断に迷うことが日常には多い。とくに、女性の場合は迷うのではなかろうか。映画で見る貴婦人などは、まず手袋を脱がない。それは貴婦人だからであって、貴婦人でない現代女性は、いったい着脱の基準をどのあたりに定めているのだろう。山口波津女に「花を買ふ手袋のままそれを指し」という句がある。こんな場面を句にしたということは、この行為が自分の価値基準に照らしてノーマルではないからである。本来ならば、手袋を脱いで店の人に指示すべきであったのだ。おタカくとまっているように思われたかもしれないという危惧の念と、急いで花を求めなければならなかった事情との間で、作者の心はいつまでも揺れ動いている。(清水哲男)


November 24111998

 あやとりのエッフェル塔も冬に入る

                           有馬朗人

ういえば、あやとり遊びで作る形には名前がついていた。地方によって異なるのだろうが、「川」だとか「橋」だとか「帚(ほうき)」だとか……。「エッフェル塔」は初耳だが、形状から推察して「帚」のように思える。あるいは、作者の創作かもしれない。いずれにしても作者は、あやとりの形から連想して、本物のパリのエッフェル塔を思っている。どんよりと雲のたれ込めたパリの冬が、身辺にはじまったように感じている。もとより、連想の源は、あやとりが寒い時期の室内での遊びであることにある。外国との交流が頻繁な作者ならではの句境だろう。作者には、一度だけお目にかかった。東大学長に選出される一週間前くらいだったろうか。ラーメン屋に毛の生えたような麹町の小さな店に、友人がアルコールの勢いで「呼び出した」という格好だった。彼は編集者として、何冊か有馬さんの本を作ったことがある。三時間ほど、にこやかに応接してくださった。話の中身は省略するが、一週間後にまたぞろ私がひとりでその店に出かけていくと、ちょうどテレビのニュースが有馬さんの学長決定を告げているところだった。それを見ていた店のお兄さんが叫んだものである。「あっ、このヒト、あのオジサンだっ」。『立志』(1998)所収。(清水哲男)

[読者から教えていただきました。エッフェル塔の作り方には何通りかあるようです]もとはしみほさんの方法。小さいころに母から習ったもので「東京タワー」と言っていました。つくった梯子を顔の前にもっていき、ちょうど真ん中の交点になったところをくちびるで挟んで、両の指からひもがはずれないように気をつけながら両手をそっと下にさげる。これだけです(挟んだ所が塔の頂上になります)。作った当人には、せっかくの作品がちゃんと見えないのが欠点ですが、子どもたちに披露するにはもってこいです。 鈴木麻理さんの方法。こちらは口を使いません。鈴木志郎康さんが、以上の二通りの完成写真と、もう一つ、インディアン方式のタワーの写真を撮ってくれました。どうぞ、ご覧ください。みなさん、ありがとうございました。現・文部大臣である作者が詠んだエッフェル塔は、果たしてどれなのでしょうか。チャンスがあったら、うかがってみます。


November 23111998

 余日なき十一月の予定表

                           星野立子

一月と言ったところに、心憎いほどの巧みさがある。これを「十二月の予定表」とやると、ひどく月並みでつまらない句になってしまう。ただし、句の背後には、実は「十二月」がちゃんと隠されているのであって、作者の心は明らかに師走に向いているのだ。けれども、そのことを表面には出さないで、さりげなくそれと暗示している。このあたりの隠し味の利かせ方を、俳句の妙と言うべきなのだろう。俳句ならではの物言いである。十一月もあと僅かともなれば、誰の予定表にも十二月が染み込んでくるようで、だんだんと追い立てられるような気分になってくる。でも、必ずしもそれがすべて鬱陶(うっとう)しいというわけでもなく、そこらあたりが十二月のせっぱ詰まった気分とは、まだかなり違うのである。今月の私の予定表も、かなりたてこんでいる。今週の土曜日の項には「忘年会」と記されている。毎年のことながら、ドサクサにまぎれるようにして師走へと入り込んでいく。『続立子句集第二』(1947)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます