国民生活白書「中年-その不安と希望」だと。雑誌の目次じゃあるまいし、あーあ。




1998ソスN12ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 05121998

 日光写真片頬ぬくきおもひごと

                           糸 大八

光写真は冬の季語。「青写真」ともいい、子供の冬の遊び。漫画のキャラクターなどが黒白で印刷されたネガに印画紙を重ね、その上にガラス板を置き、日光に当てて焼き付ける。水洗いすると、絵が浮き上がってくる種類のものもあった。いまではまったく廃れてしまい、新しい歳時記では削除されている。私の子供の頃の少年雑誌の新年号には、必ず付録についていて、楽しみだった。ただし、ネガの枚数よりも印画紙が少なく、どれを焼き付けるかをセレクトするのが大変だった。ま、それを考えるのも、楽しみの一つだったけれど……。ところで、この句の子供は、かなり大人びているようだ。低い冬の日に片頬を照らされながら、完全に日光写真に没入してはいず、何か他のことを思っている。かすかに芽生えはじめた恋心にとらわれていると読んだのだが、そうなると、この少年にとっての日光写真遊びも、この冬あたりで終わるということだ。いつまでも子供っぽくはいられない少年のありようが、的確に捉えられている。どんなに熱中している遊びでも、いつかは終わる。それっきりで、生涯思いださない遊びもあるだろう。(清水哲男)


December 04121998

 日のあたる石にさはればつめたさよ

                           正岡子規

の季語「冷たし」は寒さを表す言葉の一つであるが、同じく季語である「寒し」に比べると、皮膚感覚に重点がかけられている。より即物的な感覚を表す。この句は、そういうことを言っている。教科書に載っているかどうかは知らないが、小学生などにそういうことを教えるためには格好の教材だろう。日があたっているというのだから、少しは寒気もゆるんでいる。しかし、何げなく触れてみた石は、ハッとするほどに冷たいのだった。誰もがよく体験することだけれど、そこを逃さずにスケッチしたところは、やはり子規ならではと言うべきか。漢字と平仮名の配合もよい。「つめたさよ」のほうが、漢字にするよりも本当に触った実感が滲み出てくる。そしてこのとき、なんでもない路傍の石がにわかに存在感を増すのである。ずしりと重くなるのだ。この「冷たし」が心理的に拡大されると、たとえば「あの人は冷たい」などという用法に発展する。すなわち「あの人」の存在感が、にわかに不人情の一面からクローズアップされるわけだ。こんなことなら「日のあたる」暖かそうな「あの人」に、触らなければよかったのに……。(清水哲男)


December 03121998

 寒柝や長き手紙の封をせり

                           岡田史乃

柝(かんたく)は、寒い冬の夜に打ちならされる拍子木の音のこと。「火の用心」と声を上げながらの拍子木の音は、どこか物悲しさを感じさせる。長い手紙を書き終えてほっと安堵した作者の耳に、遠くの方から寒柝が聞こえてきた。しっかりと封をしながら、時計を見るまでもなく、夜も相当に更けてきたことを知るのである。長い手紙なのだから、時間を忘れて書くことに没頭していた。書き終えて、ふと我に帰った状態を巧みに捉えた句だ。そして、この情感を伝える季節としては、やはり冬がふさわしい。他の季節では、きっぱりと書き終えた気分が曖昧になってしまうからだ。余談になるが、昨今の東京の出火原因は、圧倒的に放火が多いのだそうだ。三鷹市あたりでは、昼の放火も増えてきたという。ならば、人はなぜ火を放つのか。有名な「八百屋お七」事件以来のこの謎にいどんだのが、多田道太郎さんの『変身放火論』(講談社・1998)である。これからの夜長の読み物として、お薦めしておきたい。『浮いてこい』(1983)所収。(清水哲男)




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