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December 05121998

 日光写真片頬ぬくきおもひごと

                           糸 大八

光写真は冬の季語。「青写真」ともいい、子供の冬の遊び。漫画のキャラクターなどが黒白で印刷されたネガに印画紙を重ね、その上にガラス板を置き、日光に当てて焼き付ける。水洗いすると、絵が浮き上がってくる種類のものもあった。いまではまったく廃れてしまい、新しい歳時記では削除されている。私の子供の頃の少年雑誌の新年号には、必ず付録についていて、楽しみだった。ただし、ネガの枚数よりも印画紙が少なく、どれを焼き付けるかをセレクトするのが大変だった。ま、それを考えるのも、楽しみの一つだったけれど……。ところで、この句の子供は、かなり大人びているようだ。低い冬の日に片頬を照らされながら、完全に日光写真に没入してはいず、何か他のことを思っている。かすかに芽生えはじめた恋心にとらわれていると読んだのだが、そうなると、この少年にとっての日光写真遊びも、この冬あたりで終わるということだ。いつまでも子供っぽくはいられない少年のありようが、的確に捉えられている。どんなに熱中している遊びでも、いつかは終わる。それっきりで、生涯思いださない遊びもあるだろう。(清水哲男)


September 2792001

 蝗炒るむかし兵馬を征かしめて

                           糸 大八

語は「蝗(いなご)」で秋。蝗を炒(い)りながら、昔のことを思い出している。思い出しているのは、自分のことというよりも、村の出来事であり歴史である。毎年秋になると、どの家でも、こうして蝗を炒ってきた。いまも炒る。そのことは昔とちっとも変わらないが、変わったこともいろいろとある。で、いちばん村が激変したときといえば、戦時だった。若い衆には赤紙が来て次々に出征していき、農耕馬も軍馬として徴用されていった。見送ったのは老人と女子供であり、残された者に銃後の農作業は辛く厳しいものであった。遂に帰ってこなかった若い衆もいたし、馬たちは一頭も戻ってはこなかつた。いまにして思えば、残った者は人や馬を「見送った」のではなくて、むしろ能動的に「征(ゆ)かしめ」たのではなかったのか。「兵馬を征かしめて」、「むかし」もこうやって平時のように蝗を炒ったものだ。その行為は平時のいまも変わらないが、変わらないからこそ、炒るという平凡で不変な行為が「むかし」の変事を鮮明に炙り出してくるのである。しかし、痛恨という思いではない。時代の高揚感にみずからも昂ぶり、日の丸を打ち振って「征かしめ」たおのれの卑小さを思うのみなのである。作者は現在の六十歳代だから、当時はほんのちっぽけな子供でしかなかった。なのに、この句だ。胸をうたれる。「俳句界」(2001年10月号)所載。(清水哲男)


March 1732003

 山茱萸の花を電車の高速度

                           糸 大八

山茱萸
語は「山茱萸(さんしゅゆ)の花」で春。別名を「春黄金花(はるこがねばな)」と言い、黄色い小花が球状に集まって咲く。いまごろ、満開のところが多いだろう。作者は、車中の人だ。沿線に山茱萸の群生している場所を知っていて、毎年、開花を心待ちにしている。もう咲くころだと、あらかじめ方角を見定めていたら、果たして咲いていた。いきなり、黄色いかたまりが目に飛び込んできた。が、それも束の間のこと、あっという間に視界から消え去ってしまった。そこで作者は、あらためて「電車の高速度」を感じたというのである。一瞬の出来事を詠むことで、巧みに現代的な季節感を表出している。山茱萸ではないが、東京のJR中央線の東中野駅近辺の土手には、春になるとたくさんの菜の花が咲く。サラリーマン時代には毎春、これが楽しみだった。東京駅方向に乗ると左手に群生していて、数秒間、黄色のかたまりが連なって見える。土手は線路と近接しているため、まさに黄色いかたまりとしか見えない。で、かたまりが見えた後は、なんとなく車内の雰囲気が暖かくなるのだった。桜が咲くと、今度は右側の市ケ谷あたりの土手に目をやることになる。こちらは線路から距離があるので、咲いている様子がよくわかる。それどころか、土手に寝そべっている人たちの姿までもが、よく見えるのだ。最近はめったに電車には乗らないけれど、こういう句を読むと、衝動的に乗ってみたくなる。「俳句研究」(2002年6月号)所載。山茱萸の写真は、群馬大学社会情報学部・青木繁伸氏撮影。(清水哲男)


December 08122011

 銀河系柚子にはもはやもどれまい

                           糸 大八

数の星をまたたかせる冬の夜空に柚子の実がランプのように点っている。この句、銀河系(が)柚子にはもはや戻れないと、読んだ。銀河系は常に生成と消滅を繰り返し、一日とて同じ姿はない、もともとは柚子であったのに銀河系になってしまった。ということだろうか。または銀河系柚子の存在そのものが銀河系から切り離されて別物になってしまったとも読める。その場合は銀河系柚子から変質してしまった物に自己投影していると考えられる。銀河系のうち一番近いと思われる火星ですら行くだけで一年近くかかるらしい。日本の隅っこに生息する私には計り知れない時間と空間が広がる宇宙の大きさであるが、厖大な銀河系と掌にのる柚子との関係づけが面白い。柚子湯、ゆずみそ、冬の生活に欠かせない柚子。その明るい黄色とすっぱさ、凝縮された香気が銀河系に広がる。さもありなんと思える。『白桃』(2011)所収。(三宅やよい)


February 2122013

 風光る一瞬にして晩年なリ

                           糸 大八

というにはまだまだ寒い毎日だけど光はふんだんに降り注ぎ、あたりの風景を明るくしている。寒気の残る風が光るという発想を誰が見出し、季語になっていったのか。近代的抒情を感じさせる言葉だが正岡子規も用いているぐらいだから使われだして長いのだろう。もちろん風そのものが光るわけではないが、今までくすんで見えた黒瓦だとか生垣などが輝きを増すにつれ、それらを磨きあげる風の存在を感じる。「一瞬にして」の措辞は光のきらめきから引き出されているのだろうが、その言葉に対して「晩年」の二文字が時間の対比を際立たせる。一日一日は長いのに今まで歩んできた月日のあっけなさを思わずにはいられない。いつが自分の晩年なのか、人生後半にさしかかると、春の明るさのうちにこうした句が身にしみる。『白桃』(2011)所収。(三宅やよい)




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