December 071998
金網にボールがはまり冬紅葉
川崎展宏
テニスのボールかもしれないが、この場合は野球のボールのほうが面白い。もちろん、草野球だ。軟式のボールは、ときにキャッチャー・マスクにはまってしまうほど変形しやすいのである。折しも金網を直撃したボールが、そのまま落ちてこなくなった。追いかけた野手が、茫然と金網を見上げている。そのうちに、他のメンバーも一人、二人と寄ってくる。相手方の何人かも駆け寄ってきて、ついには審判も含めた全員が金網を見上げるという事態になる。手をかけてゆさぶってみるのだが、はまり込んだボールは一向に落ちてきそうもない。なかには、グラブをぶつける奴もいる。しばらく、ゲームは中断である。と、それまで試合に熱中していて気がつかなかったのだが、場外のあちこちには、まだ美しく紅葉した木々の葉が残っているという情景。にわかに、初冬のひんやりした大気が、ほてった身体に染み込んでくるようである。そして、ナインはそれぞれに、もう野球ができなくなる季節の訪れが近いことを感じるのでもある。このボールは、落ちてきたのだろうか。『夏』(1990)所収。(清水哲男)
December 132010
冬うらら隣の墓が寄りかかる
鳴戸奈菜
まるで電車の座席で隣りの人が寄りかかってくるように、墓が寄りかかっている。実景であれ想像であれ、作者はその光景に微笑している。微笑を浮かべているのは、なんとなく滑稽だからという理由からではないだろう。このとき作者はほとんど寄りかかられた側の墓の心持ちになっていて、死んでもなお他人に寄りかかってくる人のありようを邪魔だとか迷惑だとかと思わずに、許しているからだと思われる。この心境は同じ句集のなかにある「冬紅葉愛を信ずるほど老いし」に通じており、老いとともに現れる特有のそれである。若ければ寄りかかってきた人を無神経だとかガサツだとかと撥ね除けたくなるのに、老いはむしろそれを許しはじめる。なにはともあれ、そんな迷惑行為ができるのも生きているからなのだと、生命の側からの思いが強くなるからなのである。それがまた、掲句では相手の墓の主は死んでまで寄りかかってきた。それを、どうして迷惑なんぞと振り払うことができようか。うららかな冬晴れのなかで、作者はしみじみと「愛」を信ずる情感に浸っている。『露景色』(2010)所収。(清水哲男)
November 102013
経行の蹠冷たくて冬紅葉
瀬戸内寂聴
経行(きんひん)は仏教語。座禅中、足の疲労をとるためや眠気をとるために、一定の場所を巡回・往復運動すること。(「日本語大辞典」より)。蹠(あうら)は皮膚のかたい足の裏。枕草子「冬はつとめて」を想起させる、凛とした情景です。たしかに、現在、冬でも温々した環境に身を置いている者にとって、冷え冷えする情景は、修行の場以外にはそうそうありません。「経行」(kinhin)が、かすかに音を立ててくり返されている様子を音標化していて、「蹠」(あうら)という語感には、冷たい床板にじかに接着する質感が伴っており、しかも字余りだから冷たさも余計に伝わってきます。ここまでの情景には、玄冬という語がふさわしい厳しさ寒さがありますが、それゆえに、冬紅葉の赤が鮮やかに目にしみます。かつて禁色だった赤も、冬紅葉であるならば修行の場で許され、むしろ、このうえない目の楽しみとしてあがめられているのではないでしょうか。古刹の冬の情景を、調べとともに映像的に、しかも、冷たさまでをも伝えています。『寂聴詩歌伝』(2013)所収。(小笠原高志)
November 192013
冬紅葉海の夕日の差すところ
本宮哲郎
地上の冬紅葉と海に差し込む夕日までには大きな距離があり、そこを波濤がつないでいる。太陽が海に沈む景色は日本海のものであるから、おそらく荒々しい波だろう。それでこそ、冬紅葉の赤さが一層切なく、痛々しく映えるのだ。と、頭では分かっていても、どうも想像が追いつかない。太平洋側で生まれ育った身では太陽は海からのぼり、山へと沈むものだった。当初、夕日が赤々と染める海面の部位を紅葉と直喩されているのかと思った。おそらく穏やかな太平洋側の思考がそう思わせたのだ。きりきりと冷たい冬の日本海を実際に見たいと思いながら、寒さ嫌いゆえ今日まで体験していない。掲句のような寒さゆえに存在する美しさがほかにもたくさんあり、どれも見逃しているのだと思うと心から惜しい。重い腰をあげて今年こそ出かけてみようと思うのだ。『鯰』(2013)所収。(土肥あき子)
November 292014
なきがらを火の色包む冬紅葉
木附沢麦青
またこの季節がめぐって来たな、と感じることは誰にもあるだろう。それは、戦争や災害など多くの人が共有することもあれば、ごく個人的な場合もある。私の個人的な場合はちょうど今時分、父が入院してから亡くなるまでのほぼひと月半ほどのこと。病院へ向かう道すがら、欅紅葉が色づいてやがて日に日に散っていった様がその頃の心の様と重なる。掲出句の作者は、今目の前の冬空に上ってゆくひとすじの煙を見上げながら鮮やかな冬紅葉の色に炎の色を重ねつつ、亡くなったその人を静かに思っている。冬紅葉、の一語に、忘れられない風景と忘れかけていた淋しさが広がるのを感じている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)
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