荒々と若き呼吸のはねかえるラジオ受験講座深夜切なし。高3の日記に書き写した歌。




1998ソスN12ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 09121998

 風邪衾かすかに重し吾子が踏む

                           能村登四郎

具の「衾(ふすま)」には特殊なものもあるが、この場合は普通の掛け布団と解してよいだろう。作者は風邪で寝込んでいる。高熱のなかでうつらうつらしていると、かすかに布団が重くなったような気がした。どうしてだろうか。少し考えて、ああきっと子供がいま裾を踏んでいったからだろうと納得している。高熱ゆえの判断力の低下である。誰にでも、似たような体験はあるだろう。……と、この一句からではここまでしか読めないが、実はこのときの作者に子供などいなかったことを知ると、俄然、句は違う色合いを帯びてくる。子供はいたのだが、六歳のときに病没している。死に別れている。したがって、子供が布団を踏むことなどはありえないわけだ。でも、作者にはそう思えた。あくまでも高熱ゆえの幻想なのだけれど、この幻想からわき出てくる悲哀の感情は読む者の心にずしりと重くのしかかるようだ。このような句を前にすると、俳句を読むとはどういうことかと考えさせられてしまう。作者の人生、作者の境遇を知らないと読み違えることがあるからだ。テキストだけでは成立しない句も含めて、俳句は芒洋として歩いてきたというしかない。『咀嚼音』所収。(清水哲男)


December 08121998

 短日や塀乗り越ゆる生徒また

                           森田 峠

者は高校教師だったから「教室の寒く生徒ら笑はざり」など、生徒との交流を書いた作品が多い。この句は、下校時間が過ぎて校門が閉められた後の情景だろう。職員室から見ていると、何人かの生徒がバラバラッと塀を乗り越えていく様子が目に入った。短日ゆえに、彼らはほとんど影でしかない。が、教師には「また、アイツらだな」と、すぐにわかってしまうのである。規則破りの常連である彼らに、しかし作者は親愛の情すら抱いているようだ。いたずらっ子ほど記憶に残るとは、どんな教師も述懐するところだが、その現場においても「たまらない奴らだ」と思いながらも、句のように既に半分は許してしまっている。昭和28年(1953)の句。思い返せば、この年の私はまさに高校一年生で、しばしば塀を乗り越えるほうの生徒だった。が、句とは事情が大きく異なっていて、まだ明るい時間に学校から脱出していた。というのも、生徒会が開かれる日は、成立定数を確保するために、あろうことか生徒会の役員が自治会活動に不熱心な生徒を帰さないようにと、校門を閉じるのが常だったからである。校門を閉めたメンバーのほとんどは「立川高校共産党細胞」に所属していたと思われる。「反米愛国」が、我が生徒会の基調であった。『避暑散歩』(1973)所収。(清水哲男)


December 07121998

 金網にボールがはまり冬紅葉

                           川崎展宏

ニスのボールかもしれないが、この場合は野球のボールのほうが面白い。もちろん、草野球だ。軟式のボールは、ときにキャッチャー・マスクにはまってしまうほど変形しやすいのである。折しも金網を直撃したボールが、そのまま落ちてこなくなった。追いかけた野手が、茫然と金網を見上げている。そのうちに、他のメンバーも一人、二人と寄ってくる。相手方の何人かも駆け寄ってきて、ついには審判も含めた全員が金網を見上げるという事態になる。手をかけてゆさぶってみるのだが、はまり込んだボールは一向に落ちてきそうもない。なかには、グラブをぶつける奴もいる。しばらく、ゲームは中断である。と、それまで試合に熱中していて気がつかなかったのだが、場外のあちこちには、まだ美しく紅葉した木々の葉が残っているという情景。にわかに、初冬のひんやりした大気が、ほてった身体に染み込んでくるようである。そして、ナインはそれぞれに、もう野球ができなくなる季節の訪れが近いことを感じるのでもある。このボールは、落ちてきたのだろうか。『夏』(1990)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます