December 191998
賀状書く喪中幾葉かへし読み
川畑火川
早めに出さなければと思いつつも、結局、暮れの忙しい合間をぬって書くことになる。ひとりひとり相手を思い出していると、なかなか筆が進まない。そんななかで、暮れ近くに「喪中」の挨拶が届いた人には出さないようにするわけだが、念のために挨拶状を取り出して「喪中」かどうかを再度確認することになる。その一枚一枚を眺めていると、亡くなった人のなかには、若かったころに親しくしていただいた方も散見され、そこでまた筆が止ってしまうということになる。つらいのは、なんといっても「竹馬の友」のご両親の訃報だ。私の友人のご両親といえば、お若くても八十代前半だから、止むを得ないといえばそれまでだけれど、やはり訃報は切ない。なんとも、やりきれない。お若かったころのあれこれが思いだされて「ああ、人間はいつか死ぬのだ」と、あらためてそんな馬鹿なことをつぶやいたりもする。私の田舎は、夜になると鼻をつままれてもわからないほどの真の暗闇が訪れた。その真暗闇のそのまた奥の山の墓場に、よくしていただいたみなさんが眠っておられる……。「喪中」の葉書は多く紋切り型だが、そういうことも雄弁に語りかけてくる。作者の気持ちは、わかり過ぎるほどにわかる。(清水哲男)
『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます
|