「月曜日にお風呂を焚いて、火曜日にお風呂に入る」と、歌のような日々でありたい。




1998ソスN12ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 21121998

 冬薔薇や賞与劣りし一詩人

                           草間時彦

書に「勤めの身は」とある。自嘲ではない。あきらめの境地というのでもない。ひっそりと咲く冬薔薇に託した嘆息である。会社の勤務実績査定で「詩人(俳人)」であることがマイナスに働いたようだ。そうとしか思えない。そんな馬鹿な話があるものか。……とまで作者は言っていないが、こういうことは実際にないとは言い切れない。たとえば俳人の富安風生は逓信次官にまで出世したエリート官僚だったが、上司から句作りについて遠回しに非難されたことがあるという。査定にまで影響はしないにしても、職場で「詩人だからなあ」と言われれば、それは「仕事ができない変わり者」と言われたのと同義なのだ。ゴルフや釣に凝っていても、決してそんなニュアンスでは言われない。ゴルフや釣は道楽だけれど、詩は道楽のうちに入らないと思われているらしい。道楽を超えて、四六時中(したがって仕事中も)とてつもない非常識なことばかり考えているのが詩人なのである。こうした頑迷な「会社常識」に出会うたびに、私は「詩」も随分とかいかぶられたものだと思ってきた。と同時に、この種の「会社常識」がもっとも恐れるのが「言葉の働き」だということに、内心ニヤリともしてきたのである。『中年』(1965)所収。(清水哲男)


December 20121998

 藻疊はよきや鴨たち雨の中

                           山口青邨

和三十八年(1963)の作。自解に「東京西郊井の頭公園、雨の風景」とある。我が地元の公園だが、地元民としてはわざわざ雨の日に出かけたりはしないものだ。したがって、雨の日の鴨たちの様子は知らないのである。作者は、以前から予定されていた句会があったので、雨にも負けずに出かけていった。「冬のことであり、それに雨、私たち俳句を作るものの外は誰もいない」と書いている。以下、地元民にとっても貴重なレポートを書き写しておく。「私は弁天堂の軒下に入って池の鴨の写生を初めた。鴨はたくさんいた。こんなひどい雨の中で鴨はどうしているのであろう。冬も枯れない藻、河骨のような広い葉の水草、睡蓮などべったり敷きつめて、藻疊(もだたみ)をつくっている。鴨はその上にいた。藻のない自由な水面には一羽もいない。眼を見はるとそれも鴨、これも鴨、頭が黒いので水草の中ではまぎらわしい。時々嘴(くちばし)で藻をくわえてはぶるっと振って、千切って食べている。水の中より藻疊のほうが暖かいのであろうか」。『自選自解・山口青邨句集』(1970)所収。(清水哲男)


December 19121998

 賀状書く喪中幾葉かへし読み

                           川畑火川

めに出さなければと思いつつも、結局、暮れの忙しい合間をぬって書くことになる。ひとりひとり相手を思い出していると、なかなか筆が進まない。そんななかで、暮れ近くに「喪中」の挨拶が届いた人には出さないようにするわけだが、念のために挨拶状を取り出して「喪中」かどうかを再度確認することになる。その一枚一枚を眺めていると、亡くなった人のなかには、若かったころに親しくしていただいた方も散見され、そこでまた筆が止ってしまうということになる。つらいのは、なんといっても「竹馬の友」のご両親の訃報だ。私の友人のご両親といえば、お若くても八十代前半だから、止むを得ないといえばそれまでだけれど、やはり訃報は切ない。なんとも、やりきれない。お若かったころのあれこれが思いだされて「ああ、人間はいつか死ぬのだ」と、あらためてそんな馬鹿なことをつぶやいたりもする。私の田舎は、夜になると鼻をつままれてもわからないほどの真の暗闇が訪れた。その真暗闇のそのまた奥の山の墓場に、よくしていただいたみなさんが眠っておられる……。「喪中」の葉書は多く紋切り型だが、そういうことも雄弁に語りかけてくる。作者の気持ちは、わかり過ぎるほどにわかる。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます