ネットに自殺情報が氾濫とマスコミ。「規制」への心理的な梃入れに利用されそうだ。




1998ソスN12ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 26121998

 餅搗きや焚き火のうつる嫁の顔

                           黒柳召波

戸時代の句。「うつる」は「映える」に近い内容の言葉だろう。餅つきは早朝の暗いうちから行われるのが常だったので、電灯などないころには焚き火の灯りが必要だった。また、その焚き火の威勢のよさが「餅つき」の雰囲気を盛り上げた。そんな焚き火の明るさのなかで、懸命に奮闘している嫁の姿に、作者はいたく感じ入っている。まめまめしく働く嫁に満足しており、さらには美しいと一瞬見惚れたりもしている。もちろん、彼女は今年当家に嫁いできたのだ。これで、よい正月が迎えられる……。新春を間近にした大人の無邪気が伝わってくる。ところで、この「嫁」とは誰の嫁なのだろうか。というのも、私の田舎では、昔から自分の妻のことを単に「嫁」と言い、いまだに「息子の嫁」とは区別してきている。現代の感覚からすると、句の「嫁」は後者であろうが、この場合は自分の新妻である可能性が高いと思う。だとすれば、まことにもって「ご馳走様(のろけ)」の句だ。さて、こうして大量の餅をつきおわると、あとは正月を待つばかり。なんとなく、大人も子供も神妙な顔つきになってくるから面白い。しかし、どんな世の中にも皮肉屋はいるもので『柳多留』に一句あり。「餅は搗くこれから嘘をつくばかり」と。(清水哲男)


December 25121998

 青菜つづく地平に基地の降誕祭

                           飴山 實

和二十九年(1954)の作句。この年代に意味がある。句集では掲句と並んで、「キャンプ・オーサカ、日本人労務者の首切り反対スト」と前書のある「星条旗より膨れ赤旗枯れ芝生」他一句が載っている。大不況であった。米軍基地といえどもが、経費の節減を強いられていた。まずは、弱いところからのリストラである。いつの世にも変わらぬお定まりの経営感覚だ。反発した日本人労働者が、赤旗を林立させて果敢にストライキを打ったのは当然として、しょせん米軍の強権には歯が立たなかったはずだ。当時、基地の街・立川の高校に通っていた私には、いまだに実感として納得される。植民地支配とは、ああいう理不尽なものであった。そんな基地にクリスマスが訪れ、普段とは違った静寂の日となる。周辺には冬野菜の植えられた畑が広がっており、その彼方に、一般の日本人にはうかがい知れぬベース・キャンプが鉄条網に囲まれてひっそりとしている。予告なく容赦なく轟音を響かせて飛ぶ飛行機も、今日だけはその気配もなく翼を休めている。これが彼らのクリスマスか。あのなかでは、一体どんなことが行われているのだろう。眼前の青菜と彼方の鉄条網との対比の妙。戦後史の一齣である。『おりいぶ』(1959)所収。(清水哲男)


December 24121998

 子へ贈る本が箪笥に聖夜待つ

                           大島民郎

リスマス・プレゼント。西洋のお年玉みたいなものだが、お年玉よりは渡し方に妙味がある。いつごろ、誰が発案したのだろうか。たいしたアイデアだ。このアイデアで最もよいところは、贈り主が匿名であるところだろう。両親からでもなければ、他の誰からでもない。すなわち、神様からのプレゼントということになる。そこが、お年玉のように恩着せがましくなくて素敵だ。ただし、神様からのプレゼントは遠い北国からサンタクロースが運んでくることになっているので、匿名に徹する親は大変である。聖夜にこっそりと枕元に置いておかなければならない。ために、その夜まで保管場所に苦労する。本ならばなるほど箪笥に隠すというテもあるが、大きな物の場合は本当に困惑する。いつだったか一輪車を買ってきたまではよかったが、クローゼットに押し込んではみたものの、いつ発見されるかとヒヤヒヤの仕通しだったことがある。それもこれもが、みな親心。クリスマスの日に、子供が喜ぶ顔を想像しては、作者も指折り数えて待っているのだ。このとき、父親は子供よりもむしろ聖夜を待ちかねていたにちがいない。(清水哲男)




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