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December 30121998

 門松を立てに来てゐる男かな

                           池内たけし

宅に立てに来ているのではないだろう。近所の屋敷の門前で、出入りの仕事師が黙々と門松を立てている。通りかかった作者は、立てられていく門松よりも、ふっと男のほうに視線がいった。たしか去年も、この人が来ていたな……。といって、それだけのことなのだが、歳末風景の的確なスナップショットとして、かなり印象に残る句だ。さて、商店街の宣伝用に早くから立てられる門松は別として、普通は二十日過ぎころから立てられていく。一夜飾りが嫌われるため、門松立ては小晦日(こつごもり・大晦日の前日)までにすませるのが今の風習だ。ところが江戸期くらいまでは、大晦日に立てる地方もあったらしい。そしてもっと昔になると、大晦日に立てるのが当たり前だったという説もある。その根拠に必ず上げられるのは、平安期の歌人・藤原顕季(あきすえ)の次の歌だ。「門松をいとなみたつるそのほどに春明け方に夜やなりぬらむ」。なるほど、この歌からすれば、たしかに大晦日に立てている。それも、なるべく人目につかない夜近くに……。でも、考えてみれば、このほうが正しいのではあるまいか。元日というハレの場をきちんと演出するためには、元日は昨日と同じ光景の日であってはならないからだ。(清水哲男)


December 14122005

 馬売りて墓地抜けし夜の鎌鼬

                           千保霞舟

語は「鎌鼬(かまいたち)」で冬。むろん私には経験はないが、昔からよく聞いてきた。不思議なことがあるものだ。根元順吉の解説から引いておく。「突然、皮膚が裂けて鋭利な鎌で切ったような切り傷ができる現象。昔は目に見えないイタチのしわざと考えられていたところから、このようにいわれたというが、他方、風神が太刀(たち)を構える『構太刀』から由来したという説もある。この発生は地域性があるらしく、越後(えちご)(新潟県)では七不思議の一つに数えられている。/語源はともかくとして、現在もこのような損傷を受ける人がいるので、この現象は否定できない」。要するに、何かのはずみで空気中に真空状態ができ、そこに皮膚が触れると切れてしまうらしいのだ。当然ながら、昔の人はこれを妖怪変化の仕業と考えた。掲句は道具立てが揃いすぎている感もあるが、「鎌鼬」にやられても仕方がない状況ではある。なにせ藁の上から育て上げた愛馬を他人に売り渡し、後ろめたくも寂しい思いで通りかかったのが夜の墓地とくれば、何か出てこないほうがおかしい。……と、びくついているところに、急に臑のあたりに痛みが走ったのだろう。「わっ、出たっ」というわけだ。実際に怪我をしたのかどうかはわからないけれど、咄嗟に「鎌鼬」だと(信じてしまったと)詠んだところに、この句の可笑しいような気の毒なような味がよく出ている。池内たけしに「三人の一人こけたり鎌鼬」があるが、こちらはまったくの冗談口だろう。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)


August 1582008

 花火見る暗き二階を見て通る

                           池内たけし

火見るでは切れない。花火を見ている顔が並ぶ暗い二階を見て通るという内容。顔は見えないかもしれない。顔が見えなくても花火を見ているであろうことは声でわかるのかもしれない。もし「見る」で切れるとするならば、作者は花火と暗い二階を同時に(或いは連続して)見ていることになる。同時に見るのは無理だし、連続して見てもそこに詩情は感じられない。これはやはり花火を見ないで二階を見ているのだ。花火を見ているのは二階の人。花火を見ずとも音は聞こえる。花火の炸裂音の中で作者は暗い二階を見上げる。花火に浮き立つ世の人々を冷笑的に見ているのか。花火賛歌ではない内面的な角度がある。何か人目をひくものの前でそこに見入る人を見ている人が必ずいる。見る側に立つのはいいが、見られる側に立つのはなんとなく気持ちが悪い。見ている側に優越的な気持ちを持たれているようでもあるし。もし逆の立場で、二階で花火を見ている自分が下から見られていると感じたら、いっそう楽しそうに花火見物の自分をみせつける奴と、どこ見てんだよと睨み返す奴がいるんだろうな。僕はやっぱり後者だな。楽しんでる顔を冷静に見られるのは嫌だな。『新歳時記増訂版虚子編』(1951)所載。(今井 聖)




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