サルモネラ菌中毒症と一ケ月間に及んだ風邪。今年度の極私的重大ニュースでした。




1998ソスN12ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 30121998

 門松を立てに来てゐる男かな

                           池内たけし

宅に立てに来ているのではないだろう。近所の屋敷の門前で、出入りの仕事師が黙々と門松を立てている。通りかかった作者は、立てられていく門松よりも、ふっと男のほうに視線がいった。たしか去年も、この人が来ていたな……。といって、それだけのことなのだが、歳末風景の的確なスナップショットとして、かなり印象に残る句だ。さて、商店街の宣伝用に早くから立てられる門松は別として、普通は二十日過ぎころから立てられていく。一夜飾りが嫌われるため、門松立ては小晦日(こつごもり・大晦日の前日)までにすませるのが今の風習だ。ところが江戸期くらいまでは、大晦日に立てる地方もあったらしい。そしてもっと昔になると、大晦日に立てるのが当たり前だったという説もある。その根拠に必ず上げられるのは、平安期の歌人・藤原顕季(あきすえ)の次の歌だ。「門松をいとなみたつるそのほどに春明け方に夜やなりぬらむ」。なるほど、この歌からすれば、たしかに大晦日に立てている。それも、なるべく人目につかない夜近くに……。でも、考えてみれば、このほうが正しいのではあるまいか。元日というハレの場をきちんと演出するためには、元日は昨日と同じ光景の日であってはならないからだ。(清水哲男)


December 29121998

 行年や夕日の中の神田川

                           増田龍雨

年は「ゆくとし」と読ませる。神田川は東京の中心部をほぼ東西にながれ、隅田川にそそいでいる川だ。武蔵野市の井の頭池を水源としている上流部を、昔は神田上水と言った。中流部は江戸川だ。なにしろ川は長いので、同じ川の名前でも、場所によってイメージは異なる。句の神田川は、どのあたりだろうか。全国的には隅田川や多摩川ほどには知られていない川だけれど、東京人にとっては、昔の生活用水だったこともあり、懐しいひびきのする呼び名だろう。その神田川の夕暮れである。私はお茶の水駅あたりの神田川が好きなので、勝手に情景をそこに求めて読んでいるのだが、たしかに年末の風情はこたえられない。学生街だから、普段は若者で溢れている街に、年末ともなると彼らの姿は消えてしまう。そんな火の消えたような淋しい街に、神田川は猛るでもなく淀むでもなく、夕日の中でいつものように静かに息づいている。まことに「ああ、今年も暮れていくのだ」という実感がこみ上げてくる。そして、こういうときだ。私がお茶の水駅から寒風の中を十数分ほど歩いてでも、有名なビヤホールの「ランチョン」に立ち寄りたくなるのは……。かつてはこの店で、毎日のようにお見かけした吉田健一さんや唐木順三さんも、とっくの昔に鬼籍に入られた。年も逝く、人も逝く。(清水哲男)


December 28121998

 掛けかへし暦めでたし用納

                           佐藤眉峰

納は、その年の仕事を終わること。民間会社では「仕事納」と言い、官庁では「御用納」と言う。この日は残務を処理したり、机上などを片付けたりしてから、年末の挨拶をかわして早めに帰宅する。私が雑誌社に勤めていたころには、会社に歳暮で届いたビールや酒で昼前に乾杯するのが習慣だった。で、さっとすぐに引き上げていくのは故郷に帰る人や旅行に出かける人たちで、いつまでもグズグズしているのは、帰ったところで何もすることがない独身組だった。もちろん、私は後者。それはともかく、よく気がつく人のいる会社では、句のように、この日、暦が来年のものに掛けかえられる。新年初出社のときに古いカレンダーがぶら下がっていたのでは、興醒めだからだ。そして、新しい暦に掛けかえられると、年内にもかかわらず、たしかに一瞬「めでたし」という気分になるものだ。平凡なようだが、情緒の機微に敏感な作者ならではの句である。そしてまた、このときに捨てられる今年の暦は「古暦」と言われ、冬の季語にもなっている。正確に言えばまだ使える暦なのに「古暦」とは、面白い。ではいったい、年内のいつごろから「今年の暦」は「古暦」となるのかと悩んだ(?)句が、後藤夜半にある。「古暦とはいつよりぞ掛けしまま」。(清水哲男)




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