欧州通貨統合。されど「ユーロ」記号がワープロにはない。当面は「E」で我慢だ。




1999ソスN1ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0211999

 初髪の尻階段をのぼりゆく

                           柳家小三治

髪は、新年はじめて結い上げられた髪のこと。主として島田など日本髪を言う。襟足も美しく和服姿と調和して、男どもは目の保養をする。中年の初髪も凛としてよいものだが、やはり若い女性の匂い立つような風情は絶品だ。この姿を素直に詠めば、たとえば「初髪の娘がゆき微風したがへり」(柴田白葉女)というところだろうが、作者は落語家らしく(いや「男らしく」と言うべきか)、ちょいとひねってみせた。地下鉄の階段かエスカレーターか、あるいはデパートのそれであろうか。作者の目の前に、初髪の女性の大きなお尻がのぼってゆくというわけで、これまた絶景なれども、いささか鼻白む。と同時に、なんだか嬉しいような気もする。正月風景のスナップ句に、かくのごときローアングルを持ってきたところが愉快だ。柳家小三治は、ここ十年ほどの落語界のなかでは私が最も好きな人で、やがて名人と言われるようになる器だと思う。高座の面構えもいいし、彼の話芸には客に媚びる下品さが微塵も感じられない。かといって名人面をぶら下げているわけでもなく、自然体なのだ。この句においても、また然り。一つ間違えれば下品になるところを、水際で自然にすっと本能的に体をかわしている。すなわち、楽しき人徳の句なのである。作者は昭和十四年(1939)己卯生まれ。年男だ。「うえの」(1999年1月号)所載。(清水哲男)


January 0111999

 元日や手を洗ひをる夕ごころ

                           芥川龍之介

日に晴朗の気を感ぜずに、むしろ人生的な淋しさを感じている。近代的憂愁とでも言うべき境地を詠んでおり、名句の誉れ高い作品だ。世間から身をずらした個としての自己の、いわば西洋的な感覚を「夕ごころ」に巧みに溶かし込んでいて、日本的なそれと融和させたところが最高の手柄である。芭蕉や一茶などには、思いも及ばなかったであろう世界だ。ただし、芥川の手柄は手柄として素晴らしいが、この句の後に続々と詠まれてきた「夕ごころ」的ワールドの氾濫には、いささか辟易させられる。はっきり言えば、この句以降、元日の句にはひねくれたものが相当に増えてきたと言ってもよさそうだ。たとえば、よく知られた西東三鬼の「元日を白く寒しと昼寝たり」などが典型だろう。芥川の作品にこれでもかと十倍ほど塩だの胡椒だのを振りかけたような味で、三鬼の大向こう受けねらいは、なんともしつこすぎて困ったものである。「勝手に寝れば……」と思ってしまう。そこへいくと、もとより近代の憂いの味など知らなかったにせよ、一茶の「家なしも江戸の元日したりけり」のさらりと哀楽を詠みこんだ骨太い句のほうが数段優れている。つまり、一茶のほうがよほど大人だったということ。(清水哲男)


December 31121998

 うつくしや年暮れきりし夜の空

                           小林一茶

年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)




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