E-mailのアドレスを持つ人が急速に増えてきた。賀状を拝見しながら感じたこと。




1999ソスN1ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0511999

 初詣一度もせずに老いにけり

                           山田みづえ

語にもなっているが、女礼者(おんなれいじゃ)という言い方がある。単に礼者といえば、年頭の挨拶を述べにくる客のことだ。が、わざわざ「女礼者」と呼んだのは、とくに昔の主婦の三が日はそれこそ礼者の応対に追われて挨拶まわりどころではないので、四日以降にはじめて外出し、祝詞を述べに行くところからであった。したがって、元日の初詣に、まず行ける主婦は少なかった。おそらく作者のように、一度も初詣に行かないままに過ごしてきた年輩の女性は、いまだに多いのではなかろうか。句の姿からは、べつにそのことを恨みに思っていたりするようなこともなく、気がついたらそういうことだったという淡々たる心境が伝わってくる。そこが良い。かくいう私は男でありながら、一度だけ明治神宮なる繁華な神社に行ったことがあるだけで、後にも先にも、その一度きり。人混みにこりたせいもあるけれど、あのイベント的大騒ぎは好きになれない。淑気も何もあったものではない。もとより私の立場と作者とは大違いだが、そんなところに作者が行けないでいて、むしろよかったのではないか。この句に接してふと思ったのは、そういうことであった。「俳句」(1999年1月号)所載。(清水哲男)


January 0411999

 東山静かに羽子の舞ひ落ちぬ

                           高浜虚子

都東山。空は抜けるように青く、ために逆光で山の峰々はくろぐろとしている。そんな空間のなかに高くつかれた五色の羽子(はね)が、きらきらと日を受けて舞い落ちてくる。それも、静かにしずかにと落ちてくる。息をのむような美しいショットだ。羽子つきをしているのは、書かれてはいないけれど、子供ではなくて若い女性でなければならない。地上に女性たちのはなやいだ構図があってはじめて、作者は目を細めながら空を見上げたのだから……。いかな京都でも、今ではもうこんな情景はめったに見られないだろう。古きよき時代に、京都をこよなく愛した虚子の、これはふと漏らした吐息のような京都讃歌であった。読むたびに「昔の光、いまいずこ」の感慨に襲われる。そういえば、ひさしく京都にもご無沙汰だ。新しい京都駅も見ていない。学生時代、いっしよに下宿していた友人の年賀状に「下宿のおばさんが老齢で入院中」とあった。おばさんは、長唄のお師匠さんだった。当時(1960年頃)の私たちは、階下の三味線を耳にしながら、颯爽と「現代詩」などを書いていたのである。三味線の伴奏つきで詩を書いた人は、そんなにいないだろう。(清水哲男)


January 0311999

 懐手三日の客の波郷かな

                           桐生あきこ

田波郷ファンにとっては、垂涎の的の一句だろう。なにしろ正月三日に、波郷が訪ねて来たのが作者の家だったのだから……。大串章主宰の俳誌「百鳥」に「ひろば」という会員の親睦的な通信欄があり、今年(1999)の一月号に思い出とともに載せられていた。作者のコメント。「波郷先生は三日礼者ではない。朝来てずっと夜までいらっしゃる。紺絣のお対を短めに着て、店の隣の玄関からぬーっと入って来られる。トレードマークの懐手で……」。店というのは理髪店。そこで仕事をしていたのは、これまた俳句の名手であった石川桂郎である。で、妹さんがこの句の作者というわけだ。作句の年代は不詳だが、昭和十年代と思われる。古来正月三日は最もめでたい日とされ、昔の皇室では「元始祭」が行われたことから、国家の祭日であった。正月三日間を今でも休む風習は、昔の祭日が三日にもあったことの名残りだろう。そういうことでもなければ、元日だけを休んで、西洋流に二日から働くことにしても一向に構わないわけである。現に、商売人にとっての「二日」は仕事始だ。休日については、存外、こうした昔の息を引き継いでいる日が多い。ま、そんなことはともかく、句の「三日」の波郷も作者も、きっと楽しかったのでしょうね。(清水哲男)




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