江戸っ子は早くも今夕に門松を取り払う。もっと早いのが「仙台様の四日門松」だ。




1999ソスN1ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0611999

 小説を立てならべたる上に羽子

                           高野素十

月休みが終わって、孫たちも引き上げてしまった。小さい子はにぎやかだから、いればいたでやかましいと思うときもあるが、いなくなると火の消えたような淋しさが残る。いまごろはどうしているかなと、時々思ったりする。そんなある日、本でも読もうかと書棚を探していたら、並べてある小説本(めったに読まない本だから、きれいに整列したままなのだ)の上に、ひっそりと置かれた羽子を見つけた。孫の忘れ物だ。このとき、作者はそっとその羽子を手に取って一瞬微笑を浮かべただろう。ただそれだけのことではあるが、句からは作者の慈眼がしみじみと伝わってくる。詩歌集の類ではなく、小説本の上にあったところにも味わいがある。小説本には、さまざまな人々のさまざまな人生や生活が具体的に描かれているからで、句は言外に、そのとき孫の行く末までをもちらりと想像した作者の心の動きを伝えているようだ。とまれ、作者には、いつもの静かな生活が戻ってきた。また会える日まで、とりあえずこの羽子は、書棚の隙間に元どおりそのままに置いておくことにしよう……。『雪片』(1952)所載。(清水哲男)


January 0511999

 初詣一度もせずに老いにけり

                           山田みづえ

語にもなっているが、女礼者(おんなれいじゃ)という言い方がある。単に礼者といえば、年頭の挨拶を述べにくる客のことだ。が、わざわざ「女礼者」と呼んだのは、とくに昔の主婦の三が日はそれこそ礼者の応対に追われて挨拶まわりどころではないので、四日以降にはじめて外出し、祝詞を述べに行くところからであった。したがって、元日の初詣に、まず行ける主婦は少なかった。おそらく作者のように、一度も初詣に行かないままに過ごしてきた年輩の女性は、いまだに多いのではなかろうか。句の姿からは、べつにそのことを恨みに思っていたりするようなこともなく、気がついたらそういうことだったという淡々たる心境が伝わってくる。そこが良い。かくいう私は男でありながら、一度だけ明治神宮なる繁華な神社に行ったことがあるだけで、後にも先にも、その一度きり。人混みにこりたせいもあるけれど、あのイベント的大騒ぎは好きになれない。淑気も何もあったものではない。もとより私の立場と作者とは大違いだが、そんなところに作者が行けないでいて、むしろよかったのではないか。この句に接してふと思ったのは、そういうことであった。「俳句」(1999年1月号)所載。(清水哲男)


January 0411999

 東山静かに羽子の舞ひ落ちぬ

                           高浜虚子

都東山。空は抜けるように青く、ために逆光で山の峰々はくろぐろとしている。そんな空間のなかに高くつかれた五色の羽子(はね)が、きらきらと日を受けて舞い落ちてくる。それも、静かにしずかにと落ちてくる。息をのむような美しいショットだ。羽子つきをしているのは、書かれてはいないけれど、子供ではなくて若い女性でなければならない。地上に女性たちのはなやいだ構図があってはじめて、作者は目を細めながら空を見上げたのだから……。いかな京都でも、今ではもうこんな情景はめったに見られないだろう。古きよき時代に、京都をこよなく愛した虚子の、これはふと漏らした吐息のような京都讃歌であった。読むたびに「昔の光、いまいずこ」の感慨に襲われる。そういえば、ひさしく京都にもご無沙汰だ。新しい京都駅も見ていない。学生時代、いっしよに下宿していた友人の年賀状に「下宿のおばさんが老齢で入院中」とあった。おばさんは、長唄のお師匠さんだった。当時(1960年頃)の私たちは、階下の三味線を耳にしながら、颯爽と「現代詩」などを書いていたのである。三味線の伴奏つきで詩を書いた人は、そんなにいないだろう。(清水哲男)




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