漫画のポパイとオリーブが来月発売の本のなかでついに結婚する。出会いから70年後。




1999ソスN1ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1011999

 抵抗を感ずる熱き煖炉あり

                           後藤夜半

のもてなしとは難しいものだ。寒い日に作者を迎えたので、この家では暖炉に盛大に薪を投じてもてなしたのだろう。ところが、作者は熱くてかなわないと抵抗を感じている。かといって、せっかくの好意なので口に出すわけにもいかず、小さな苛立ちを覚えている。いまや暖炉でのもてなしは贅沢な感じになってしまったが、ガスや電気器具での暖房でも、こういうことはちょくちょく起きる。困ってしまう。ところで、句の「抵抗を感ずる」という表現に、それこそ抵抗を感じる読者もいるにちがいない。あまりにもナマな言葉だからだ。はじめて読んだときには、私もそう感じたけれど、だんだんこのほうが面白いと思うようになってきた。ナマな言葉でズバリと不快感をあらわしているだけに、かえってそのことを口に出せない作者の焦燥が、客観的にユーモラスに読者に伝わってくると思えるからである。内心で大いに怒り力んでいるわりには、表面は懸命にとりつくろっている。この本音とたてまえの落差を導きだしているのは、やはり「抵抗を感ずる」というナマな言葉の力であろう。『底紅』(1978)所収。(清水哲男)


January 0911999

 風呂吹にとろりと味噌の流れけり

                           松瀬青々

も上手いが、この風呂吹大根もいかにも美味そうだ。「とろりと」が、大いに食欲をそそってくる。あつあつの大根の上の味噌の色が、目に見えるようである。松瀬青々は大阪の人。正岡子規の弟子であった。大阪の風呂吹は、どんな味噌をかけるのだろうか。東京あたりでは、普通は胡麻味噌か柚子味噌を使うが、生姜味噌をかけて食べる地方もあるそうだ。私は柚子味噌派である。いずれにしても、大根そのものの味を生かした料理だけに、子供はなかなか好きになれない食べ物の一つだろう。大人にならないと、この深い味わい(風流味とでも言うべきか)はわかるまい。ところで、「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と。『妻木』所収。(清水哲男)


January 0811999

 おのが影ふりはなさんとあばれ独楽

                           上村占魚

楽もすっかり郷愁の玩具となってしまった。私が遊んだのは、鉄棒を芯にして木の胴に鉄の輪をはめた「鉄胴独楽」だったが、句の独楽は「肥後独楽」という喧嘩独楽だ。回っている相手の独楽に打ちつけて、跳ねとばして倒せば勝ちである。「頭うちふつて肥後独楽たふれけり」の句もある。形状についての作者の説明。「形はまるで卵をさかさに立てたようだが、上半が円錐形に削られていて、その部分を赤・黄・緑・黒で塗りわけられている。外側が黒だったように記憶する。この黒の輪は他にくらべて幅広に彩られてあった。かつて熊本城主だった加藤清正の紋所の『蛇の目』を意味するものであろうか。独楽の心棒には鏃(やじり)に似た金具を打ちこみ、これは相手の独楽を叩き割るための仕組みで、いつも研ぎすまされている」。小さいけれど、獰猛な気性を秘めた独楽のようだ。ここで、句意も鮮明となる。「鉄胴独楽」でも喧嘩はさせた。夕暮れともなると、鉄の輪の打ち合いで火花が散ったことも、なつかしい思い出である。昔の子供の闘争心は、かくのごとくに煽られ、かくのごとくに解消されていた。ひるがえって現代の子供のそれは、多く密閉されたままである。『球磨』(1949)所収。(清水哲男)




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