January 121999
ほそぼそと月に上げたる橇の鞭
飯田蛇笏
馬橇(ばそり)だろう。犬に曵かせる橇もあるにはあるが、この場合は馬でないと絵にならない。大きな月を背景にして、ひょろりと上がったしなやかな鞭の様子は、さながら昭和モダンの白黒で描かれたイラストレーションの世界を見るようだ。実景かもしれないが、この句から人馬の息づかいは感じられない。むしろ、夜の馬橇の出発は、このようにあってほしいという作者の願望が生んだ想像上の句と読むほうが楽しい。フォルム的にも完璧で、寒夜一瞬の静から動への転移の美しさを定着してみせた技ありの句だ。もちろん、あたりは月明に映えた一面の銀世界である。雪の多い山陰地方で育った私には、懐しい光景と写る。橇とはいっても、いわゆる観光用の美々しい仕立てのものではなくて、伐採した材木を運搬するための粗末な代物でしかなかったけれど、雪の上を飛ぶように滑っていくあの感触は、自動車の乗り心地などとはまた別種の快感に浸れる乗り物であった。サンタクロースの橇は空を飛んで来るが、あれは橇に乗っている感覚からすると、嘘ではない。橇は、空を飛ぶように走る乗り物なのである。(清水哲男)
December 252002
橇がゆき満天の星幌にする
橋本多佳子
季語は「橇(そり)」で冬。途方もなくスケールが大きく、かつ見事に美しい情景だ。ロマンチックとは、こういうことさ。と、読んだこちらのほうが力みかえりたくなってしまう。昭和ロマンともてはやされた、戦前のシルエット調の挿し絵やカットの類が、作者の頭にはあったのかもしれない。見渡すかぎりの雪原だ。そのなかを「満天の星」を「幌(ほろ)にして」行く小さな黒い橇は、ほとんど進んでいないかのように見える。遠望している作者の耳には、おそらく鈴の音も聞こえていないだろう。まさに、息をのむように美しいシルエットの世界だ。実景というよりも、幻想に近い。いや、実景を幻想にまで引き上げた句と言うべきか。素敵だ。私が育った山陰の村でも、雪が降れば橇の出番があった。しかし、それらはみな木材や炭俵などを運ぶためのもので、どう見てもロマンチックとはほど遠かった。むろん、幌無しだ。馬が引き、牛が引き、そして人も引きという具合。学校帰りに、たまたま通りかかった橇に、よく無断で飛び乗っては叱られたものだ。あれ以来、一度も橇に乗ったことはない。掲句の橇にも実際には幌がついていないのだから、案外、そんな橇だったとも考えられる。だとすれば、より親近感がわいてくる。そして、表現力のマジックを思う。『新歳時記・冬』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)
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