風邪かなア。今年のインフルエンザは高熱が特長だと聞くが明日朝の我が運命や如何。




1999ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1411999

 縄とびの寒暮いたみし馬車通る

                           佐藤鬼房

の日の夕方。ちゃんちゃんこを着た赤いほっぺの女の子が、ひとり縄跳び遊びをしている。そのかたわらを大きく軋みながら、古ぼけた馬車が通っていった。女の子も無言なら、馬車の男も無言である。いかにも寒々とした光景だ。が、田舎育ちの私には、いつかどこかで見たような懐しくも心暖まる光景に感じられる。この光景には、たしかに寒気は浸みとおっているけれど、人の心には作者も含めて微塵の寒々しさもない。この句を、ことさらに作者の貧困生活と結びつけて解釈するムキもあるようだが、私は採らない。昔から繰り返されてきたであろう同一のシチュエーションを、それこそことさらにこのように詠むことで、作者はこのときむしろ貧困などは忘れてしまっている。田舎のごく普通の光景に、ふっと溶け込んでいるというのが、句の正体ではあるまいか。古ぼけた馬車と縄跳びの女の子は、いつに変わらぬ我が田舎の冬場の象徴として置かれているのであり、その永遠的な存在感は我が個的な事情を楽々と越えているのだ。たとえば「あなたの田舎はどんなふうですか」と問われて、率直に答えるときのサンプル句のようだと言っても言い過ぎではあるまい。そんなふうに、私には思える。『夜の崖』(1955)所収。(清水哲男)


January 1311999

 亡きものはなし冬の星鎖をなせど

                           飯田龍太

は「さ」と読ませる。若き日の龍太の悲愴感あふれる一句。「亡きもの」とは、戦争や病気で逝った三人の兄たちのことであろうが、その他の死者を追慕していると考えてもよい。天上に凍りついている星たちには、いつまでも連鎖があるけれど、人間世界にはそのような形での鎖はないと言うのである。「あってほしい」と願っても、しょせんそんな願いは無駄なことなのだ。と、作者はいわば激しく諦観している。よくわかる。ただ一方で、この句は二十代の作品だけに、いささか理に落ち過ぎているとも思う。大きく張った悲愴の心はわかるが、それだけ力み返っているところが、私などにはひっかかる。どこかで、俳句的自慢の鼻がぴくりと動いている。意地悪な読み方かもしれないが、感じてしまうものは仕方がない。厳密に技法的に考えていくと、かなり粗雑な構成の句ということにもなる。そして、表現者にとって哀しいのは、若き日のこうした粗雑な己のスタイルからは、おそらく生涯抜け出られないだろうということだ。このことは、私の詩作者としての限界認識と重なっている。俳壇で言われるほどに、私は龍太を名人だとは思わない。名人でないところにこそ、逆にこの人のよさがあると思っているし、作者自身も己の才質はもとより熟知しているはずだ。『百戸の谿』(1954)所収。(清水哲男)


January 1211999

 ほそぼそと月に上げたる橇の鞭

                           飯田蛇笏

橇(ばそり)だろう。犬に曵かせる橇もあるにはあるが、この場合は馬でないと絵にならない。大きな月を背景にして、ひょろりと上がったしなやかな鞭の様子は、さながら昭和モダンの白黒で描かれたイラストレーションの世界を見るようだ。実景かもしれないが、この句から人馬の息づかいは感じられない。むしろ、夜の馬橇の出発は、このようにあってほしいという作者の願望が生んだ想像上の句と読むほうが楽しい。フォルム的にも完璧で、寒夜一瞬の静から動への転移の美しさを定着してみせた技ありの句だ。もちろん、あたりは月明に映えた一面の銀世界である。雪の多い山陰地方で育った私には、懐しい光景と写る。橇とはいっても、いわゆる観光用の美々しい仕立てのものではなくて、伐採した材木を運搬するための粗末な代物でしかなかったけれど、雪の上を飛ぶように滑っていくあの感触は、自動車の乗り心地などとはまた別種の快感に浸れる乗り物であった。サンタクロースの橇は空を飛んで来るが、あれは橇に乗っている感覚からすると、嘘ではない。橇は、空を飛ぶように走る乗り物なのである。(清水哲男)




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