January 281999
斯かる人ありきと炭火育てつつ
星野立子
戦後六年目(1951)の作句。立子、四十七歳。まだ、炭火で暖を取るのが当たり前だった頃の句だ。毎日の火鉢の炭火にしてもけっこう育てるのは難しく、それなりに一家言のある人がいたりして、いま思い出すとそれこそけっこう面白い作業ではあった。したがってこの句の「斯(か)かる人」とは、いま眼前に育ちつつある炭火のようなイメージの人というのではなくて、炭火の育て方の巧みだった人のことを言っている。それも育て方を直接教わったというのではなく、その巧みさに見惚れているうちに、いつしか彼の流儀が身についてしまったようだ。で、いつものように炭火を扱っていたら、ひょいとその人のことを思い出したというわけだ。手がその人を覚えていた。遠い昔のその人も、やはりこうやって炭を扱っていたっけ。そして、もっと見事な手さばきだった……。と、作者は炭火の扱い以外には何の関心も抱かなかったその人のことを、いまさらのように懐しく思い出すのである。こういうことは、私にも時々起きる。教室の火鉢にちっちゃな唐辛子を遠くから正確に投げ込んで、みなを涙にくれさせた某君の名コントロールを、こともあろうに突然プロ野球実況を見ながら思い出したりするのである。『實生』(1957)所収。(清水哲男)
January 271999
ハンバーガーショップもなくて雪の町
内山邦子
草間時彦『食べもの俳句館』(角川選書)で見つけた句。図書館で借りた本だが、返すのがもったいないくらいに面白い。選句の妙を見せつけられる思いがするからである。掲句の句意は平易なので、解説は不要だろう。ただ、草間氏も書いているように「私はそんなことを全然、気が付かなかったが、ハンバーガーショップの在る、無しが、町の格を決めるものになるのだろうか」。ここが、私も気になった。ちなみに、作者が住むのは新潟県中頚城(なかくびき)郡大潟町。直江津から北東へ十数キロの日本海に面した町だという。私の体験からすると、かつて住んだ町や村に不満だったのは、たとえば書店がないということであった。「町の格」までは意識しなかったけれど、都会との差を測るバロメーターとしては食べ物屋よりも、書店や映画館などの食べられない物を扱う店の存在だったような気がする。大潟町に書店があるかどうかは知らないが、本屋なんかはなくても現代の都会との差を明瞭に意識させられるのは、ハンバーガーショップなのだと作者は言っている。いまや都市化を測る物差しは、「知的」ファッションよりもファッション的な「食物」に移行してしまったということなのだろうか。(清水哲男)
January 261999
離鴛鴦流れてゆきぬ鴛鴦の間
矢島渚男
鴛鴦(おしどり)は留鳥だから、山間の湖や公園の池などで一年中見ることができるが、俳句では冬の鳥としている。周囲の枯れ色に比して、雄の色彩が鮮やかで目立つことからだろう。習性としては、常に「つがい」で行動する。まさに「おしどり夫婦」なのである。ところが、作者は、いかなる事情によるものか、離鴛鴦(はなれをし)となった一羽の鳥を見つけた。見ていると、その鴛鴦は水面をすうっと滑るようにして、他のつがいの間を流れていったというのである。情景としては、それだけのことにすぎない。が、雌雄どちらかが単体になると、残されたほうが焦がれ死にするとまで言われている鳥だから、作者は大いに気にして詠んでいる。そしてこの離鴛鴦に感情移入をしていないところが、逆に句の情感を深く印象づけている。私がたまに出かける井の頭公園の池には鴛鴦が多数生息していたが、この冬はめっきり数が減ってしまった。日本野鳥の会の人に聞いてみたら、環境の変化のせいだと教えてくれた。鴛鴦が好む雑木や雑草の影が、伐採によってなくなってしまったからだという。そんなわけで、いまどきの井の頭公園池はどこか侘びしい。『梟』(1990)所収。(清水哲男)
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