佐藤紅緑の小説みたいな千代大海の「不良少年更生美談」。マスコミの筆も古いなア。




1999ソスN1ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2911999

 洋蘭の真向きを嫌うかぜごこち

                           澁谷 道

者は内科医。病人一般の心理には通暁している。しかし、この場合の「かぜごこち」は作者本人のそれだろう。風邪気味の身には、洋蘭の重厚な華やかさが、むしろ鬱陶しいのだ。だから、自分の真正面に花が相対することを嫌って、ちょっと横向きに鉢をずらして据え直した。そんなところだろうが、この気分はよくわかる。発熱したときには、元気なものや華やかなもののすべてがうとましい。どんなに好きなテレビ番組でも、見たくなくなる。風邪の症状は一時的だから、直ればそんなこともケロリと忘れてしまうのだけれど、長患いの人の憂鬱はどんなに深いものだろうか。ましてや老齢ともなると、鬱陶しさは限りない感じだろう。鉢植えの花にせよ、テレビ番組にせよ、なべてこの世の文化的産物は、病人向けに準備されたものではない。享受する人間が元気であることが、前提とされ仮定された世界だ。考えてみれば、これは空恐ろしいことである。最近でこそ、病人や高齢者など「社会的弱者の救済」が叫ばれるようになってはきたが、この言葉や行為そのものに含まれる「元気」もまた、本質的には鬱陶しさの種になりやすいのではあるまいか。『紫薇』(1986)所収。(清水哲男)


January 2811999

 斯かる人ありきと炭火育てつつ

                           星野立子

後六年目(1951)の作句。立子、四十七歳。まだ、炭火で暖を取るのが当たり前だった頃の句だ。毎日の火鉢の炭火にしてもけっこう育てるのは難しく、それなりに一家言のある人がいたりして、いま思い出すとそれこそけっこう面白い作業ではあった。したがってこの句の「斯(か)かる人」とは、いま眼前に育ちつつある炭火のようなイメージの人というのではなくて、炭火の育て方の巧みだった人のことを言っている。それも育て方を直接教わったというのではなく、その巧みさに見惚れているうちに、いつしか彼の流儀が身についてしまったようだ。で、いつものように炭火を扱っていたら、ひょいとその人のことを思い出したというわけだ。手がその人を覚えていた。遠い昔のその人も、やはりこうやって炭を扱っていたっけ。そして、もっと見事な手さばきだった……。と、作者は炭火の扱い以外には何の関心も抱かなかったその人のことを、いまさらのように懐しく思い出すのである。こういうことは、私にも時々起きる。教室の火鉢にちっちゃな唐辛子を遠くから正確に投げ込んで、みなを涙にくれさせた某君の名コントロールを、こともあろうに突然プロ野球実況を見ながら思い出したりするのである。『實生』(1957)所収。(清水哲男)


January 2711999

 ハンバーガーショップもなくて雪の町

                           内山邦子

間時彦『食べもの俳句館』(角川選書)で見つけた句。図書館で借りた本だが、返すのがもったいないくらいに面白い。選句の妙を見せつけられる思いがするからである。掲句の句意は平易なので、解説は不要だろう。ただ、草間氏も書いているように「私はそんなことを全然、気が付かなかったが、ハンバーガーショップの在る、無しが、町の格を決めるものになるのだろうか」。ここが、私も気になった。ちなみに、作者が住むのは新潟県中頚城(なかくびき)郡大潟町。直江津から北東へ十数キロの日本海に面した町だという。私の体験からすると、かつて住んだ町や村に不満だったのは、たとえば書店がないということであった。「町の格」までは意識しなかったけれど、都会との差を測るバロメーターとしては食べ物屋よりも、書店や映画館などの食べられない物を扱う店の存在だったような気がする。大潟町に書店があるかどうかは知らないが、本屋なんかはなくても現代の都会との差を明瞭に意識させられるのは、ハンバーガーショップなのだと作者は言っている。いまや都市化を測る物差しは、「知的」ファッションよりもファッション的な「食物」に移行してしまったということなのだろうか。(清水哲男)




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