February 031999
硝子負ひ寒波の天を映しゆく
田川飛旅子
句を読んですぐに思い出したのは、田中冬二の「青い夜道」という初期の詩だ。少年が町で修繕した大きな時計を風呂敷包みにして背負い、田舎の青い星空の夜道を帰ってくる。ここからすぐに冬二の幻想となり、その時計が「ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ……」と、少年の背中で鳴るのである。「少年は生きものを 背負つてゐるやうにさびしい」と、詩人はつづけている。一方で掲句は幻想を書いているのではなくて、見たままをスケッチしているのだが、双方には共通したポエジーの根があると感じられる。つまり、人間が背中に大きくて重いものを背負うということ。前かがみとなって、一心に道を歩くということ。その姿を「さびしい」と共感する感性が、日常的に存在したということ。車社会ではなかった時代の人間の当たり前の物の運び方には、つらかろうとか、可哀相だとか、そういう次元を越えた「忍耐の美」としか形容できない感じがあった。その忍耐のなかにあるからこそ、時計が鳴りだすのであり、硝子(ガラス)が寒波の天を映して壮麗な寒さを告げているのだ。背負うというと、簡単なザックだけという現代では、なかなか理解されにくくなってきた感覚だろう。大きな荷物のほとんどは、みな人が背負うものであった。ついこの間までの「現実」である。(清水哲男)
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