インフルエンザでマンションの管理人室が閉鎖。入居して15年。はじめての事態だ。




1999ソスN2ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0321999

 硝子負ひ寒波の天を映しゆく

                           田川飛旅子

を読んですぐに思い出したのは、田中冬二の「青い夜道」という初期の詩だ。少年が町で修繕した大きな時計を風呂敷包みにして背負い、田舎の青い星空の夜道を帰ってくる。ここからすぐに冬二の幻想となり、その時計が「ぼむ ぼむ ぼうむ ぼむ……」と、少年の背中で鳴るのである。「少年は生きものを 背負つてゐるやうにさびしい」と、詩人はつづけている。一方で掲句は幻想を書いているのではなくて、見たままをスケッチしているのだが、双方には共通したポエジーの根があると感じられる。つまり、人間が背中に大きくて重いものを背負うということ。前かがみとなって、一心に道を歩くということ。その姿を「さびしい」と共感する感性が、日常的に存在したということ。車社会ではなかった時代の人間の当たり前の物の運び方には、つらかろうとか、可哀相だとか、そういう次元を越えた「忍耐の美」としか形容できない感じがあった。その忍耐のなかにあるからこそ、時計が鳴りだすのであり、硝子(ガラス)が寒波の天を映して壮麗な寒さを告げているのだ。背負うというと、簡単なザックだけという現代では、なかなか理解されにくくなってきた感覚だろう。大きな荷物のほとんどは、みな人が背負うものであった。ついこの間までの「現実」である。(清水哲男)


February 0221999

 わが天使なりやをののく寒雀

                           西東三鬼

山修司の短歌に、「わが天使なるやも知れぬ小雀を撃ちて硝煙嗅ぎつつ帰る」がある。明らかに、この句の引き伸ばしだ。きつく言えば、剽窃である。若かった寺山さんは、この他にもいくつもこういうことを企てては顰蹙をかいもしたが、どちらが私の心に残っているかというと、これまた明らかに寺山さんの歌のほうなのである。なぜなのだろうか。一つの解答を、同じ俳壇内部から上田五千石が、著書の『俳句塾』(邑書林・1992)で吐き捨てるように書いている。「三鬼句の『叙べる』弱さが流用されたのだ」と……。私は二十代の頃から三鬼が好きで、角川文庫版の句集を愛読した。絶版になってからは、同じく三鬼ファンだった若き日の車谷長吉君との間を、何度この一冊の文庫本が往復したかわからないほどだ。でも、年令を重ねるにつれて、三鬼のアマさが目につくようになってきた。あれほど読んだ文庫も、いまではなかなか開く気になれないでいる。五千石の言うことは、まことに正しいと思う。他方、読者が年令を重ねるということは、こういうことに否応なく立ち合わされるということなのでもあって、この気持ちにはひどく切ないものがある。読者の天使もまた「をののく」寒雀……なのか。(清水哲男)


February 0121999

 叱られて目をつぶる猫春隣

                           久保田万太郎

月。四日は立春。そして、歳時記の分類からすれば今日から春である。北国ではまだ厳寒の季節がつづくけれど、地方によっては「二月早や熔岩に蠅とぶ麓かな」(秋元不死男)と暖かい日も訪れる。まさに「春隣(はるとなり)」だ。作者は、叱られてとぼけている猫の様子に「こいつめっ」と苦笑しているが、苦笑の源には春が近いという喜びがある。ぎすぎすした感情が、隣の春に溶け出しているのだ。晩秋の「冬隣」だと、こうは丸くおさまらないだろう。「春隣」とは、いつごろ誰が言いだした言葉なのか。「春待つ」などとは違って、客観的な物言いになっており、それだけに懐の深い表現だと思う。新しい歳時記では、この「春隣」を主項目から外したものも散見される。当サイトがベースにしている角川版歳時記でも、新版からは外されて「春近し」の副項目に降格された。とんでもない暴挙だ。外す側の論拠としては、現代人の「隣」感覚の希薄さが考えられなくもないが、だからこそ、なおのこと、このゆかしき季語は防衛されなければならないのである。(清水哲男)




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