花屋には春の花がいっぱい。でも、無料でもよさそうな雪割草が一鉢600円とは。




1999ソスN2ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0621999

 水温み頁ふえたり週刊誌

                           三宅応人

刊誌は気が早いから、暦の上で春ともなれば、すぐに「春爛漫・男と女の事件簿大特集」などと銘打って増ページ号を出したりする。作者がいう週刊誌がどんな種類のものかは知る由もないけれど、普段より分厚い雑誌を購ってなんとなくトクをしたような気分と「水温み」とが、ほんわかと照応している。週刊誌と季節感との取り合わせも、珍しい。ただし、私はひところ週刊誌の仕事をしていたことがあるので、いまもってこういう気分にはなれないでいる。「増ページ」と聞くだけで、輪転機の回る直前まで必死に原稿を書いている人々の姿を思い浮かべてしまうからだ。「大変だなあ」という感情のほうが、先に立つのである。若くなければ、とてもあんな苛酷な仕事はこなせない。身体の調子が悪いときなどは、実際泣きそうになる。それはともかくとして、掲句の「頁」という漢字の読み方をご存じだろうか。句では当然のように「ページ」と読ませているが、「ページ」は英語だから、正しい読み方ではありえない。では、何と読むのか。私の交友範囲では、これまでにすらりと読めた人はひとりもいなかった。ぜひとも、お手元の辞書を引いてみていただきたい。(清水哲男)


February 0521999

 受験期や多摩の畷の土けむり

                           中 拓夫

れでは、いきなり問題です。「句の『畷』に読み仮名をふり、その意味を書きなさい」……。お互いに苦労しましたねえ、こんな問題に。もう二度とご免です。正解は、読み仮名が「なわて」、意味は「あぜ道」か、あるいは「まっすぐな長い道」です。普通「畷」は「あぜ道」なのですが、句の場合には「まっすぐな長い道」と解したほうがよいと思います。たとえば、東京は多摩川土手のまっすぐな長い道などを想起してください。春先、多摩地方の関東ローム層特有の土を強風が巻き上げる様子には、とにかく凄まじいものがありました。空が灰色になってしまうのですから、まっすぐな長い道も遠くが見えなくなるくらいに煙ってしまうのでした。受験の句というと、受験そのものの哀歓を詠む句が多いなかで、それを風景につなげた季語として捉えたところに、面白さが感じられます。明るさもありますが、かえって切ない気分も感じられます。毎年、多摩地方に土けむりが舞い上がるころともなると、作者は自分が受験した昔のことを思い出すのでしょう。それで、受験期の風景を「土けむり」に代表させたのでしょう。もっとも、現在では「畷」もほとんどがアスファルトに覆われてしまい、「土けむり」よりも、むしろ排気ガスのほうが問題になってはいるのですが……。(清水哲男)


February 0421999

 雨の中に立春大吉の光あり

                           高浜虚子

暦では一年三百六十日を二十四気七十二候に分け、それを暦法上の重要な規準とした。立春は二十四気の一つ。暦の上では、今日から春となる。しかし、降る雨はまだ冷たく、昨日に変わらぬ今日の寒さだ。禅寺では、この日の早朝に「立春大吉」の札を入り口に貼るので、作者はそれを見ているのだろう。寒くはあるが、真白い札の「立春大吉」の文字には、やはりどこかに春の光りが感じられるようだ。あらためて、新しい季節の到来を思うのである。実際に見てはいないとしても、今日が立春と思うだけで、心は春の光りを感受しようとする。立春は農事暦のスタート日でもあり、「八十八夜」も「二百十日」も今日を起点として数える。それから、陰暦での今日はまだ十二月十八日と、師走の最中だ。閏(うるう)月のある(今年は五月が「五月」と「閏五月」の二度あった)年の立春は、必ず年内となるわけで、これを「年内立春」と呼んだ。正月のことを「新春」「初春」と「春」をつけて呼ぶ風習は、このように立春を意識したことによる。ちなみに、今度の陰暦元日は、再来週の陽暦二月十六日だ。立春を過ぎての正月だから、文字通りの「新春」であり「初春」である。以上、誰もが昔の教室で習った(はずの)知識のおさらいでしたっ(笑)。(清水哲男)




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