今日発売の「新潮」に、辻征夫『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』。読ませます。




1999ソスN2ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0721999

 春寒し水田の上の根なし雲

                           河東碧梧桐

会人にとってはもはや懐しい風景だが、全国にはいまでも、句そのままの土地はいくらもある。どうかすると、真冬よりも春先のほうが寒い日があって、そういう日には激しい北風が吹く。したがって、雲はちぎれて真白な「根なし雲」。乾いた水田がどこまでも連なり、歩いていると、身を切られるように寒い。山陰で暮らした私の記憶では、学校で卒業式の練習がはじまるころに、この風がいちばん強かった。「蛍の光」や「仰げば尊し」は、北風のなかの歌だった。吉永小百合とマヒナ・スターズの『寒い朝』という歌に、北風の吹く寒い朝でも「こころひとつで暖かくなる」というフレーズがあったが、馬鹿を言ってはいけない。そんなものじゃない。田圃のあぜ道での吹きさらしの身には、「こころ」などないも同然なのである。どこにも風のことは書かれてはいないけれど、私などにはゾクゾクッとくる句だ。こんな日に運悪く「週番」だと、大変だった。誰よりも早く学校に行って、みんなが登校してくるまでに大火鉢に炭火をおこしておくのが役目だったからだ。でも、いま考えれば、先生の立ち合いもなく小学生に勝手に火を扱わせていたわけで(しかも木造の校舎で)、うーむ、昔の大人は度胸があったのだなアと感服する。(清水哲男)


February 0621999

 水温み頁ふえたり週刊誌

                           三宅応人

刊誌は気が早いから、暦の上で春ともなれば、すぐに「春爛漫・男と女の事件簿大特集」などと銘打って増ページ号を出したりする。作者がいう週刊誌がどんな種類のものかは知る由もないけれど、普段より分厚い雑誌を購ってなんとなくトクをしたような気分と「水温み」とが、ほんわかと照応している。週刊誌と季節感との取り合わせも、珍しい。ただし、私はひところ週刊誌の仕事をしていたことがあるので、いまもってこういう気分にはなれないでいる。「増ページ」と聞くだけで、輪転機の回る直前まで必死に原稿を書いている人々の姿を思い浮かべてしまうからだ。「大変だなあ」という感情のほうが、先に立つのである。若くなければ、とてもあんな苛酷な仕事はこなせない。身体の調子が悪いときなどは、実際泣きそうになる。それはともかくとして、掲句の「頁」という漢字の読み方をご存じだろうか。句では当然のように「ページ」と読ませているが、「ページ」は英語だから、正しい読み方ではありえない。では、何と読むのか。私の交友範囲では、これまでにすらりと読めた人はひとりもいなかった。ぜひとも、お手元の辞書を引いてみていただきたい。(清水哲男)


February 0521999

 受験期や多摩の畷の土けむり

                           中 拓夫

れでは、いきなり問題です。「句の『畷』に読み仮名をふり、その意味を書きなさい」……。お互いに苦労しましたねえ、こんな問題に。もう二度とご免です。正解は、読み仮名が「なわて」、意味は「あぜ道」か、あるいは「まっすぐな長い道」です。普通「畷」は「あぜ道」なのですが、句の場合には「まっすぐな長い道」と解したほうがよいと思います。たとえば、東京は多摩川土手のまっすぐな長い道などを想起してください。春先、多摩地方の関東ローム層特有の土を強風が巻き上げる様子には、とにかく凄まじいものがありました。空が灰色になってしまうのですから、まっすぐな長い道も遠くが見えなくなるくらいに煙ってしまうのでした。受験の句というと、受験そのものの哀歓を詠む句が多いなかで、それを風景につなげた季語として捉えたところに、面白さが感じられます。明るさもありますが、かえって切ない気分も感じられます。毎年、多摩地方に土けむりが舞い上がるころともなると、作者は自分が受験した昔のことを思い出すのでしょう。それで、受験期の風景を「土けむり」に代表させたのでしょう。もっとも、現在では「畷」もほとんどがアスファルトに覆われてしまい、「土けむり」よりも、むしろ排気ガスのほうが問題になってはいるのですが……。(清水哲男)




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