元首ら異常殺到の葬儀の裏に何があるのか。弔問しなかった国にヒントがありそうだ。




1999ソスN2ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0921999

 風花やまばたいて瞼思い出す

                           池田澄子

空をバックに、ひらひらと雪片が舞い降りてくることがある。これが「風花」。不意をつかれて、作者は思わずも瞼(まぶた)を閉じたのだが、直後に、普段は意識したこともない瞼の存在を確認している。たしかに、誰にでも同種の体験はありそうだ。そして、その確認のありようを、いささかのんびりとした調子で「思い出す」と言ったところに、作者ならではのウイットが感じられる。味がある。ところで、風花と聞いて、それこそ「思い出す」のは、木下恵介監督の映画『風花』(1959・松竹大船)だ。ラスト・シーン近くで、見事な風花が実写で舞っていた。ロケーションは信州だったが、CGがない時代に、あの映像はどうやって撮影したのだろう。いつ來るともしれない風花を、監督以下、毎日待ちつづけたのだろうか。当時の映画現場の常識からすると、こうした場合、とりあえず風花だけを追い求める別チームを編成していたはずではある。が、それにしても偶然に頼るしかない映像をちゃんと入れ込んでしまったのだから、木下恵介の運の強さも相当なものだったと思う他はない。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


February 0821999

 春空に鞠とゞまるは落つるとき

                           橋本多佳子

(まり)とあるけれど、手鞠の類ではないだろう。私が子供だったころ、女性たちはキャッチ・ボールのことを「鞠投げ」と呼んだりして、我等野球小僧をいたく失望させたことを思い合わせると、おそらく野球のボールだと思われる。句の鞠の高度からしても、手鞠ではありえない。カーンと打たれた野球ボールが、ぐんぐんと昇っていく。もう少しで空に吸いこまれ、見えなくなりそうだなと思ったところで、しかし、ボールは一瞬静止し、今度はすうっと落ちてくる。春の空は白っぽいので、こういう観察になるのだ。それにしても、「鞠とゞまるは落つるとき」とは言いえて妙である。春愁とまではいかないにしても、暖かくなりはじめた陽気のなかでの、一滴の故なき小さな哀しみに似た気分が巧みに表出されている。昔の野球小僧には、それこそ「すうっと」共感できる句だ。「鞠」から「ボール」へ、ないしは「球」へ。半世紀も経つと、今度は「鞠」のほうが実体としても言葉としても珍しくなってきた。いまのうちに注釈をつけておかないと、他にもわからなくなりそうな句はたくさんある。俳句であれ何であれ、文学に永遠性などないだろう。いつか必ず「すうっと」落ちてくる。(清水哲男)


February 0721999

 春寒し水田の上の根なし雲

                           河東碧梧桐

会人にとってはもはや懐しい風景だが、全国にはいまでも、句そのままの土地はいくらもある。どうかすると、真冬よりも春先のほうが寒い日があって、そういう日には激しい北風が吹く。したがって、雲はちぎれて真白な「根なし雲」。乾いた水田がどこまでも連なり、歩いていると、身を切られるように寒い。山陰で暮らした私の記憶では、学校で卒業式の練習がはじまるころに、この風がいちばん強かった。「蛍の光」や「仰げば尊し」は、北風のなかの歌だった。吉永小百合とマヒナ・スターズの『寒い朝』という歌に、北風の吹く寒い朝でも「こころひとつで暖かくなる」というフレーズがあったが、馬鹿を言ってはいけない。そんなものじゃない。田圃のあぜ道での吹きさらしの身には、「こころ」などないも同然なのである。どこにも風のことは書かれてはいないけれど、私などにはゾクゾクッとくる句だ。こんな日に運悪く「週番」だと、大変だった。誰よりも早く学校に行って、みんなが登校してくるまでに大火鉢に炭火をおこしておくのが役目だったからだ。でも、いま考えれば、先生の立ち合いもなく小学生に勝手に火を扱わせていたわけで(しかも木造の校舎で)、うーむ、昔の大人は度胸があったのだなアと感服する。(清水哲男)




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