石坂洋次郎の小説を読もうとしても、文庫からは殆ど消滅。昨夜は、某氏とその話。




1999ソスN2ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1021999

 ごみ箱のわきに炭切る余寒かな

                           室生犀星

寒(よかん)は、寒が明けてからの寒さを言う。したがって、春の季語。「ごみ箱」には、若干の解説が必要だ。戦前の東京の住宅地にはどこにでもあったものだが、いまでは影も形もなくなっている。外見的には真っ黒な箱だ。蠅が黒色を嫌うという理由から、コールタールを塗った長方形の蓋つきのごみ箱が各家の門口に置かれていた。たまったゴミは、定期的にチリンチリンと鳴る鈴をつけた役所の車が回収してまわった。当時は紙類などの燃えるゴミは風呂たきに使ったから、「燃えないゴミ専用の箱」だったとも言える。句の情景については、作者の娘である室生朝子の簡潔な文章(『父犀星の俳景』所載)があるので引いておく。「炭屋の大きな体格の血色のよいおにいちゃんが、いつも自転車で炭を運んできていたが、ごみ箱のそばに菰を敷いて、桜炭を同じ寸法に切るのである。(中略)煙草ひと箱ほどの寸法に目の細かい鋸をいれて三分の一ほど切ると、おにいちゃんは炭を持ってぽんと叩く。桜炭は鋸の目がはいったところから、ぽんと折れる。たちまち形のよい同じ大きさの桜炭の山ができる。その頃になると、書斎の大きな炭取りが菰の隅におかれる。おにいちゃんは山のように炭取りにつみ上げたあと、残りを炭俵の中につめこむのである。炭の細かい粉が舞う。……」。『犀星発句集』(1943)所収。(清水哲男)


February 0921999

 風花やまばたいて瞼思い出す

                           池田澄子

空をバックに、ひらひらと雪片が舞い降りてくることがある。これが「風花」。不意をつかれて、作者は思わずも瞼(まぶた)を閉じたのだが、直後に、普段は意識したこともない瞼の存在を確認している。たしかに、誰にでも同種の体験はありそうだ。そして、その確認のありようを、いささかのんびりとした調子で「思い出す」と言ったところに、作者ならではのウイットが感じられる。味がある。ところで、風花と聞いて、それこそ「思い出す」のは、木下恵介監督の映画『風花』(1959・松竹大船)だ。ラスト・シーン近くで、見事な風花が実写で舞っていた。ロケーションは信州だったが、CGがない時代に、あの映像はどうやって撮影したのだろう。いつ來るともしれない風花を、監督以下、毎日待ちつづけたのだろうか。当時の映画現場の常識からすると、こうした場合、とりあえず風花だけを追い求める別チームを編成していたはずではある。が、それにしても偶然に頼るしかない映像をちゃんと入れ込んでしまったのだから、木下恵介の運の強さも相当なものだったと思う他はない。『空の庭』(1988)所収。(清水哲男)


February 0821999

 春空に鞠とゞまるは落つるとき

                           橋本多佳子

(まり)とあるけれど、手鞠の類ではないだろう。私が子供だったころ、女性たちはキャッチ・ボールのことを「鞠投げ」と呼んだりして、我等野球小僧をいたく失望させたことを思い合わせると、おそらく野球のボールだと思われる。句の鞠の高度からしても、手鞠ではありえない。カーンと打たれた野球ボールが、ぐんぐんと昇っていく。もう少しで空に吸いこまれ、見えなくなりそうだなと思ったところで、しかし、ボールは一瞬静止し、今度はすうっと落ちてくる。春の空は白っぽいので、こういう観察になるのだ。それにしても、「鞠とゞまるは落つるとき」とは言いえて妙である。春愁とまではいかないにしても、暖かくなりはじめた陽気のなかでの、一滴の故なき小さな哀しみに似た気分が巧みに表出されている。昔の野球小僧には、それこそ「すうっと」共感できる句だ。「鞠」から「ボール」へ、ないしは「球」へ。半世紀も経つと、今度は「鞠」のほうが実体としても言葉としても珍しくなってきた。いまのうちに注釈をつけておかないと、他にもわからなくなりそうな句はたくさんある。俳句であれ何であれ、文学に永遠性などないだろう。いつか必ず「すうっと」落ちてくる。(清水哲男)




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