この二カ月、友人知己の訃報多し。昨日も大学同級生死去の電話。お祓いだあーっ。




1999N228句(前日までの二句を含む)

February 2821999

 尾の切れし凧のごとくに二月終ふ

                           有賀充惠

の切れた凧は、くるくると回転しながら急速に舞い落ちてくる。そのように、あれよあれよと思う間もなく、二月が終わってしまった……。上村占魚がこの句について「一本調子の表現がいい」と言っているが、まことに適切な評言だ。農村にいた子供のころ、一月は「去(い)ぬ」、二月は「逃げる」、三月は「去る」と教わった。それほどに、この三カ月は短く感じられるということだ。二月は日数が少ないこともあるけれど、農家にとっては、来るべき農繁期までの休息の時期だから、なるべく休息日が長くあってほしいという願望が作用するので、時間の経過が早く感じられたのだろう。ご承知のように、旧暦での二月は「大の月」だと三十日まである。ちなみに、今年は二十九日まで。だから、昔の人はとくに二月の日数が短いと思っていたわけではなく、その意味で古句を読むときには注意が必要だろう。宝井其角の命日が、実はこの二月三十日(二十九日説もあるが)で、いまの暦だと彼の命日は永遠にやってこない理屈だ。いつまでも、死んでないことになってしまう。(清水哲男)


February 2721999

 妻留守に集金多し茎立てる

                           杉本 寛

は「くき」の古形で「くく」と読む。茎立(くくだち)は、春になって大根や蕪などが茎をのばすことで、この茎が「とうが立つ」と言うときの「とう」である。こうなったら、大根だと「す」が入って不味くなるので食べるわけにはいかない(人間だと、どうなるかは関知しない……)。農家では、種を取るために、わざと茎立のままに放置しておく。自註がある。「たまの休日。一人で留守居をしていると何故か客が多い。客といっても、集金・勧誘の類。折角読書をと思っても興がのらず、庭を眺めるだけ」。昭和57年(1982)の作品だ。当時はまだ、そんなに諸料金の銀行引き落としシステムが普及していなかったので、休日の亭主族はこんなメに会うことが多かった。庭の植物の茎立さながらに、われと我が身も「妻」に放置されたような苦い笑いが込められている。私にも、もちろん覚えがある。しつこい新聞の勧誘に粘り強くつきあって、ついに撃退(失礼っ)に成功したと思ったら、勧誘のお兄さんの捨てぜりふがイマイマしかった。「そうですねえ。ご主人に『アサヒ・シンブン』は難しすぎるかもしれませんねえ」だと。よくも言いやがったな。読書に戻るどころではない。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)


February 2621999

 もの忘れするたび仰ぐ春の山

                           黛 執

かにもおおどかで、優しい感受性のある黛執(まゆずみ・しゅう)の世界。俳句もよくした映画監督の五所平之助に手ほどきを受け、すすめられて「春燈」の安住敦に師事したというキャリアを知れば、大いに納得のいく句境である。もの忘れをするたびに、なんとなく春の山を仰いでしまう。作者は湯河原(神奈川県)の在だから、湯河原の山だろう。ただこれだけのことなのであるが、記憶という人為的かつコシャクな営みを、芒洋たる春の山に照らしているところに、なんとも言えない人柄の良さを感じる。映画俳優でいえば、たとえば笠智衆のような人が詠んだら似合いそうな句だと、私には写る。諸作品中の傑作とは言い難いけれど、このように作者の人柄を味わうことができるのも、俳句を読む楽しさの一つだ。話は変わるが、私の「もの忘れ」は三十代後半くらいからはじまった。映画批評なども書いていたので、それまでには絶対に忘れるはずもない俳優の名前が出てこなくなったりしだして、愕然とした。その俳優の仕草や顔もはっきり浮かぶのに、どうしても名前が思い出せない。振り仰ぐ山もなかったので、目がテンになるばかり。容赦なく、迫り來る締切。ついには川本三郎君につまらない電話をしたりして……というようなこともあったっけ。いずれ「もの忘れ論」を書きたいので後は省略するが、言えることは、そんなときに、まずは作者のように泰然としていることが肝要だということである。『春野』所収。(清水哲男)




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