ヘリコプターで空を飛ぶ心臓。臓器移植を受けられた方々のご回復をお祈りします。




1999ソスN3ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0131999

 三月やモナリザを賣る石畳

                           秋元不死男

月は寒暖の交代期。レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画「モナリザ」の謎めいた微笑のように、季節をはっきりと捉えがたい月だ。しかも句の「モナリザ」は、大道で売られている粗悪な複製品である。ますます、捉えがたい。最近では、あまり「モナリザ」などの名画の複製を売る人の姿を見かけなくなったが、あれはいったいどういう人が買っていたのだろうか。昔の「純喫茶」などによく飾ってあったところから考えると、そうした商売の人が顧客だったのかもしれない。似たような複製絵画は、子供だったころの音楽の教室に掲げてあった。モーツアルトが魔笛を構想する図だとか、ベートーベンのしかめっ面だとかと、あんな絵があったおかげで、みんながクラシック嫌いになってしまった(笑)。複製画を売る人も少なくなったが、句のような石畳も、なかなか見られなくなった。かつての安保闘争や大学紛争のときに、剥がして投げれば凶器になるという理由から、東京などでは「当局」が撤去してしまったせいもある。「坂の長崎石畳、南京広場の夜は更けて……」云々という戦後すぐの流行歌があった。あの時代にこそ、この句はよく似合う。(清水哲男)


February 2821999

 尾の切れし凧のごとくに二月終ふ

                           有賀充惠

の切れた凧は、くるくると回転しながら急速に舞い落ちてくる。そのように、あれよあれよと思う間もなく、二月が終わってしまった……。上村占魚がこの句について「一本調子の表現がいい」と言っているが、まことに適切な評言だ。農村にいた子供のころ、一月は「去(い)ぬ」、二月は「逃げる」、三月は「去る」と教わった。それほどに、この三カ月は短く感じられるということだ。二月は日数が少ないこともあるけれど、農家にとっては、来るべき農繁期までの休息の時期だから、なるべく休息日が長くあってほしいという願望が作用するので、時間の経過が早く感じられたのだろう。ご承知のように、旧暦での二月は「大の月」だと三十日まである。ちなみに、今年は二十九日まで。だから、昔の人はとくに二月の日数が短いと思っていたわけではなく、その意味で古句を読むときには注意が必要だろう。宝井其角の命日が、実はこの二月三十日(二十九日説もあるが)で、いまの暦だと彼の命日は永遠にやってこない理屈だ。いつまでも、死んでないことになってしまう。(清水哲男)


February 2721999

 妻留守に集金多し茎立てる

                           杉本 寛

は「くき」の古形で「くく」と読む。茎立(くくだち)は、春になって大根や蕪などが茎をのばすことで、この茎が「とうが立つ」と言うときの「とう」である。こうなったら、大根だと「す」が入って不味くなるので食べるわけにはいかない(人間だと、どうなるかは関知しない……)。農家では、種を取るために、わざと茎立のままに放置しておく。自註がある。「たまの休日。一人で留守居をしていると何故か客が多い。客といっても、集金・勧誘の類。折角読書をと思っても興がのらず、庭を眺めるだけ」。昭和57年(1982)の作品だ。当時はまだ、そんなに諸料金の銀行引き落としシステムが普及していなかったので、休日の亭主族はこんなメに会うことが多かった。庭の植物の茎立さながらに、われと我が身も「妻」に放置されたような苦い笑いが込められている。私にも、もちろん覚えがある。しつこい新聞の勧誘に粘り強くつきあって、ついに撃退(失礼っ)に成功したと思ったら、勧誘のお兄さんの捨てぜりふがイマイマしかった。「そうですねえ。ご主人に『アサヒ・シンブン』は難しすぎるかもしれませんねえ」だと。よくも言いやがったな。読書に戻るどころではない。『杉本寛集』(1988)所収。(清水哲男)




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