プロ野球優勝予想。セでは投手力抜群の中日、パは怪童・松坂を得て意気上がる西武。




1999ソスN3ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0331999

 佐保姫に山童の白にぎりめし

                           大串 章

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。雛祭りに尾篭な話で恐縮だが、山崎宗鑑の編纂した『犬筑波集』のなかで、荒木田守武が立ち小便をさせてしまったことでも有名だ。すなわち「かすみのころもすそはぬれけり」に附けて「さほ姫の春たちながら尿をして」とやった。オツに気取った王朝女性たちへの痛烈な面当てだろう。それはともかく、句の姫はやさしくて上品な春の化身。その姫の加護を受けているかのような明るい陽射しのなかで、山の子が大きくて白い握り飯をほおばっている。すべて世は事もなし……の情景である。作者と同世代の私にはよくわかるのだが、この「白にぎりめし」には、世代特有のこだわりがある。戦中戦後の飢えの時代に子供だった私たちは、いまだに「白にぎりめし」を普通の食べ物として看過できないのだ。なにしろ絵本の「サルカニ合戦」の握り飯を見て、一生に一度でいいから、こんなに大きな握り飯(カニの身体以上の大きさだった)を食べてみたいと思ったのだから、飢えも極まっていた。そうした作者幼時の思いの揺影が、句の隠し味である。山童(さんどう)は、ここでほとんど作者自身と重なっている。(清水哲男)


March 0231999

 胸ぐらに母受けとむる春一番

                           岸田稚魚

りからの強風によろけた母親を、作者はがっしと胸で受けとめた。俳句は一気の文学である。一気だから、このような情況を詠むのに適している。たわむれに母親を背負ってみた啄木の短歌では、こうはいかなかった。「たわむれ」が既に一気ではないし、まして三歩も歩けなかったという叙述においておや……だ。ここで啄木の説得的叙述に賛同する読者は啄木ファンになるのだし、説得されない人は「ふん」と思うだけである。でも、稚魚のこの句を読んで「ふん」と思うわけにはいかない。一気の「気合い」だけがあって、何も読者に説得してはいないからだ。つまり、説得していない分だけ、読者には我が身に引きつけて観賞できる自由が与えられる。連句から発句を独立させた近代俳句の意義は、こういうところにもひょいと立ち現われる。「春一番」は、立春から春分までの間で、最初に吹く強い南風のこと。気象庁では、風速8メートル以上の南方からの風と規定している。期間限定だから、春一番が吹かない年もあるわけだ。俳句歳時記のなかには、つづけて「春二番」「春三番」「春四番」くらいまでを季語としているものもある。『筍流し』(1972)所収。(清水哲男)


March 0131999

 三月やモナリザを賣る石畳

                           秋元不死男

月は寒暖の交代期。レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像画「モナリザ」の謎めいた微笑のように、季節をはっきりと捉えがたい月だ。しかも句の「モナリザ」は、大道で売られている粗悪な複製品である。ますます、捉えがたい。最近では、あまり「モナリザ」などの名画の複製を売る人の姿を見かけなくなったが、あれはいったいどういう人が買っていたのだろうか。昔の「純喫茶」などによく飾ってあったところから考えると、そうした商売の人が顧客だったのかもしれない。似たような複製絵画は、子供だったころの音楽の教室に掲げてあった。モーツアルトが魔笛を構想する図だとか、ベートーベンのしかめっ面だとかと、あんな絵があったおかげで、みんながクラシック嫌いになってしまった(笑)。複製画を売る人も少なくなったが、句のような石畳も、なかなか見られなくなった。かつての安保闘争や大学紛争のときに、剥がして投げれば凶器になるという理由から、東京などでは「当局」が撤去してしまったせいもある。「坂の長崎石畳、南京広場の夜は更けて……」云々という戦後すぐの流行歌があった。あの時代にこそ、この句はよく似合う。(清水哲男)




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