ジョー・ディマジオ死す。これで、戦後の野球小僧が憧れた大リーグも消滅した。悼。




1999ソスN3ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0931999

 土筆生ふ夢果たさざる男等に

                           矢島渚男

いぶんと作者も、つらいことを言うなア。生えてきた土筆は若い希望の象徴であり、土筆を発見して野にある男等はみな、既に若さとは遠く離れた中年である。右肩上がりの勢いと、その反対と……。構成の妙とはいえ、ある程度の年輪を重ねた読者のほとんどには、つらい句としか読めないだろう。むろん、私にも。卒業歌『仰げば尊し』の「身を立て名を上げ、やよ励めよ……」も実につらい文句だが、若さのなかで歌うから、この句よりも切実感はない。句集の成立年代から推定すると、作者は四十代だ。男等それぞれの夢が何かは知らないが、四十の坂を越えれば到達不可能な夢だとは知れる。そんなことは頭でわかっていても、なお夢を生きたい人が多いなかで、作者は「もう駄目なのだよ」と言い切っている。そこが、つらい。叙情句であるから、なおのこと心にしみる。ただし、この句には同時に別の効用もあって、それは否応なく読者に若き日の夢を想起させてくれる点だ。つらいだけではなく、懐しく過去の我が身を思い出すことには、多少の快感もある。かくいう私の十代早々の夢は、銀行員になることだった。そのことを作文に書いたら、若くて美人の野稲先生(山口県高俣中学国語担当教諭・故人)にぴしりと反対されてショックを受けた。この句のおかげで、鮮明に思い出したことの一つである。『木蘭』所収。(清水哲男)


March 0831999

 抜くは長井兵助の太刀春の風

                           夏目漱石

井兵助(ながい・ひょうすけ)とは、いったい誰なのか。どんな人物なのか。それがわからないと、句はさっぱりわからない。『彼岸過迄』に、この小説のいわば「狂言まわし役」である田川敬太郎が、浅草でアテもなく「占ない者」を求めて歩くところがあって、この人物が次のように出てくる。「彼は小供の時分よく江戸時代の浅草を知っている彼の祖父さんから、しばしば観音様の繁華を耳にした。(中略)食物の話も大分聞かされたが、凡ての中で最も敬太郎の頭を刺激したものは、長井兵助の居合抜(いあいぬき)と、脇差をぐいぐい呑んでみせる豆蔵と、江州伊吹山の麓にいる前足が四つで後足が六つある大蟇の干し固めたのであった。……」。つまり、長井兵助は当時の有名な大道商人だった。岩波文庫版の註によると、先祖代々浅草に住み、居合抜で人寄せをして、家伝の歯磨や陣中膏蟇油を売っていた。明治中期ころには五代目が活躍していたというから、句の人物も五代目だろう。それで、句の言葉使いも大道芸よろしく講談調になっているのだ。心地好い春風に吹かれて、見物している漱石センセイの機嫌もすこぶるよろしい。作者の機嫌は、読者にもうつる。理屈抜きに楽しめる句だ。『漱石俳句集』所収。(清水哲男)


March 0731999

 さしぬきを足でぬぐ夜や朧月

                           与謝蕪村

橋治『蕪村春秋』によれば、この句は「蕪村信奉者がわけてもしびれる王朝ものの一句である」という。「さしぬきは指貫、元来公家の衣服の一種で、裾をひもでくくるようにした袴(はかま)である。公服や略装に広く用いられた。その性格から、この句は若き貴公子を詠んだ、と通常考えられている」と説明があり、「つかみどころがないのがこの句の長所なのだ」とある。たしかに、つかみどころがない。どう読んでも空想の産物だからというのではなくて、情景があまりにも漠としているからだ。句の人物は酔って帰ったのか、それとも情事のさなかなのか、などといろいろに考えられる。現に、昔から解釈には何通りもあって、どれも当たっているし当たっていないしと、歯痒いかぎりだ。なかには『源氏物語』を引っ張りだすムキもある。そんなことを思い合わせて、私はいつしか情景を詮索してもはじまらない句だと思うようになった。観賞すべきは、生臭さだけだと。朧月だけの照明効果しかない暗い室内で、いわばスーツのズボンを足で脱ぐような行為そのものの自堕落さ。その生臭い感じだけを、作者は訴えたかったのではあるまいか。王朝も虚構なら、朧月もフィクションだ。人の呼吸が間近にあるような生臭さを演出するために、蕪村はこの舞台装置を選択したのだと。(清水哲男)




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