終日、とっくに締切の過ぎた原稿を書く仕事。残念ながら、高校のクラス会は欠席だ。




1999ソスN3ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1331999

 春の宵歯痛の歯ぐき押してみる

                           徳川夢声

の気分は経験者にはよくわかる。ずきずきする歯ぐきを、本当は触りたくないんだけど押してみる。押すことによって痛みを一段深く味わう、こんな倒錯した心理は、歯痛を経験したことのない者にはわからないだろうな、と半分は空威張りしているのだ。この素朴のようでいて下手でなく、平凡のようでいて非凡のような句の作者こそ誰あろう。戦前・戦後ラジオや映画で大活躍をした「お話の王様」徳川夢声。この句は、実は歯痛どころではない大変な時代の産物だった。時は昭和20年(1945年)3月13日、あの東京下町を焼き尽くした東京大空襲の3日後のこと。同じ頃の句に「一千機来襲の春となりにけり」「空襲の合間の日向ぼっこかな」とある。句日誌『雑記・雑俳二十五年』(オリオン書房)所収。(井川博年)


March 1231999

 春闘の闇ゆさぶりぬ装甲車

                           小宅容義

語は「春闘」。そろそろ、この季語にも注釈が必要になってきたかと思われる。「春季に行われる労働組合の要求闘争のこと」だ。ほとんどの会社が四月からの新年度に賃金引き上げなどを行うので、労使交渉は春三月がピークとなり、スケジュール的に長い間「春闘」として定着してきた。装甲車とはまた物騒だけれど、つい三十年ほど前までは、問題がこじれそうな会社やストライキ中の会社の周辺に警察の機動隊が出動するシーンは、べつに珍しいことでもなかった。「闇ゆさぶりぬ」そのままに、装甲車がひたひたとにじりよってくる雰囲気には、不気味なものがあった。気がつくと、装甲車の周辺には機動隊員の沈黙の渦があり、自称左翼少年であった私には、こういう句は若き日の闇を思い起こさせられてギクリとする。政治的に目覚めた高校生や大学生と会社の労働組合とが統一戦線を組むのは普通のことだったし、春闘の応援に左翼(とは限らなかったけれど)少年や少女が混ざっていても、誰も特別には何とも思わなかった。そんな時代の句だ。失礼ながら、作者のなかでは上手な句ではない。でも、この句全体が「季語」のように機能した時代の記念として掲げておく。『立木集』(1974)所収。(清水哲男)


March 1131999

 雲雀とほし木の墓の泰司はひとり

                           阿部完市

解派の雄といわれる阿部完市の、これは比較的わかりやすい句だ。空高く朗らかに囀る雲雀(ひばり)の声を聞きながら、作者は粗末な木の墓で眠っている泰司のことを思っている。死者を尊ぶ常識からすると、泰司は雲雀とともに天にあらねばならないのだが、作者にはどうしてもそのようには思えず、泰司はやはり生きていた時と同じに地上の人でありつづけている。「泰司よ」と語りかけるような作者の優しさが胸にしみる。「泰司」が誰であるかは、作者以外には知りえない。まぎれもない固有名詞ではあるのだが、読者にはわからないのだ。しかしながら、この「泰司」は、三好達治の有名な雪の詩に出てくる「太郎」や「次郎」とは違う。同じ固有名詞でも、詩人の「太郎」や「次郎」は役所などの書類のサンプルに出てくるようなそれであり、たとえば「泰司」との入れ替えが可能な名前として使われている。ところが、俳人の「泰司」はそうではない。入れ替えは不可能なのだ。作者しか知らない人物ではあるが、この入れ替えの不可能性において、作者の限りない優しさを読者が感じられるという設計になっている。天には「雲雀」、地に「泰司」。春はいよいよ甘美でもあり、物悲しくもある。『無帽』(1956)所収。(清水哲男)




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