一歳年下の友人から定年退職の挨拶状。しみじみと見入ってしまう。じっと字を見る。




1999ソスN3ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1631999

 燈を消せば船が過ぎをり春障子

                           加藤楸邨

岐島での諷詠。隠岐島は、出雲の北方およそ四十キロに位置する二つの島からなる。作者が「さて、寝るとしようか」と、宿の部屋の燈を消して床につこうとしたら、海を行き交う船の燈火がぼんやりと障子に写っていたという図。いかにも、ほんのりと春めいてきた暖かな夜を暗示していて、心地好い句だ。冬の宿であれば、当然雨戸を閉めてしまうので、船の燈火など写りようもないのである。ところで「春障子」という季語はないようだけれど、我が歳時記では採用したくなるほどに、この言葉はそれ単体で春ならではの情緒を醸し出していると思う。隠岐島でなくとも、都会地であっても、春の障子にはそれぞれにそれらしい雰囲気があるからである。ただ残念なことに、障子それ自体が一般家庭では絶滅の危機に瀕していることもあり、障子の認知度は低くなる一方だ。下側から作業を進める障子紙の貼り方も、もはや若い人には無縁であるし、これからは「障子」そのものが歳時記的に市民権を維持することはないだろう。古い建具がすたれていくのは時代の流れであり、同時に句のような情緒も消えていくということになる。愚痴じゃないけれど、こうした句に接するたびに「昔はよかった」と思ってしまう。「文化」は「情緒」を駆逐する。(清水哲男)


March 1531999

 かりそめにはえて桃さく畠かな

                           心 流

のページで何度か紹介した柴田宵曲(しょうきょく・1897-1966)の『古句を観る』(岩波文庫・緑106-1)は、元禄時代の無名俳人の句ばかりを集めて観賞解説した奇書である(いまも本屋さんで670円で売ってます)。机辺に置いてときどき拾い読みをしているが、俳句の巧拙とは関係なく、当時の人たちの自然や社会との付き合いの様子がよくわかって、面白いし、好もしい。いわゆる「江戸趣味」の持ち合わせはないのだけれど、読んでいて、とても心のなごむ気がする。この句も、私にとって、当世の流行語を借りれば「癒し」を感じさせられる五七五であって、宵曲も書いているように「別にいい句でもないが、何となくのんびりしている」ところが大好きだ。句意は、畠の隅にそれこそ何となく生えてきた桃の木をうっちゃっておいたら、いつの間にか花が咲きはじめたなあ、ということである。ただ、それだけのこと。明治期に空想を排し写実を称揚した正岡子規がこの句を知ったら、何と言っただろう。ベタ讃めした可能性も、大いにあったのではあるまいか。宵曲は「こういう技巧のない、大まかな句を作ることは、近代人にはむずかしいかも知れない」と書いている。その通りだ。作者が大真面目なだけに、大まかさが生きてくる見本でもある。(清水哲男)


March 1431999

 今宵しかない酒あはれ冴え返る

                           室生犀星

の季語「冴返る」は、暖かくなりはじめた時期に、また寒さが戻ってくる現象を言う。万象が冴え返る感じがする。句は、酒飲みに共通する「あはれ」だ。この酒を飲んでしまうと、家内にはもう一滴もなくなる。つい、買い置きをするのを忘れてしまった。まことに心細い気持ちで、飲みはじめる。急に冷え込んできた夜だけに、心細さもひとしお。その気持ちが「あはれ」なのである。手前勝手といえばそれまでだが、この無邪気な意地汚さから、酒飲みはついに離れられない。ちなみに、犀星の愛した酒は金沢の「福正宗」だった。作者の晩酌の様子については、娘・朝子の文章がある。「犀星は家族とは別に、小さい朱塗りのお膳の前に正座して、盃をかたむけていた。私達はそばの四角いちゃぶ台にそれぞれが座る。母はこまめで料理が上手な人であったから、犀星のお膳には酒の肴の小皿がいくつも並び、赤い袴には備前焼の徳利があった。犀星はあまり喋らずに、毎夜きまって二本の徳利をあけていた。そして夕食にはご飯はいっさい食べなかった」(『父 犀星の俳景』1992)。この晩酌が終わるころになると、きまって近所に住む詩人の竹村俊郎が誘いに来て、二人はいそいそと飲みに出かけたものだという。(清水哲男)




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