環境に優しいとかいう床の低いバス。ソフトな揺れ方で気持ちが悪い。二度と乗らぬ。




1999ソスN3ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1731999

 退屈な和尚と鴉ぜんまい伸び

                           長谷川草々

の境内だろうか。まことにのんびりとした暖かい春の午後である。退屈な「和尚」と「鴉」と、そして「ぜんまい」と。なにやら三題咄でもできそうな取り合わせだが、こんなにもお互いが無関心では、取り付くシマもない。そんなバラバラの対象を、あえて五七五の調べに乗せてみせた「おとぼけ」の味が利いている。提出されているのは呑気な光景だが、作者の感覚はとても鋭い。食用に摘まれるでもなく、毎春、このようにして伸びるがままにされている「ぜんまい」の呑気な境遇が、読者に一層の楽しさを呼びかけてくる。句の主人公は「ぜんまい」だが、それをいわばソフト・フォーカスでとらえたあたり、作者の得難い才能を思う。漫才の「ボケ」が難しいように、俳句のそれも難しい。四角四面のシーンならば、誰にでもある程度は形にできるけれど、芒洋とした呑気な光景は、なかなかちゃんと詠むのには難儀な対象なのである。川端茅舎に「ぜんまいののの字ばかりの寂光土」がある。四角四面のシーンを「のの字ばかり」と春の雰囲気に崩してみせたところは、長谷川草々とはまた別種の才能だが、これまたたいした腕前と言わなければならない。(清水哲男)


March 1631999

 燈を消せば船が過ぎをり春障子

                           加藤楸邨

岐島での諷詠。隠岐島は、出雲の北方およそ四十キロに位置する二つの島からなる。作者が「さて、寝るとしようか」と、宿の部屋の燈を消して床につこうとしたら、海を行き交う船の燈火がぼんやりと障子に写っていたという図。いかにも、ほんのりと春めいてきた暖かな夜を暗示していて、心地好い句だ。冬の宿であれば、当然雨戸を閉めてしまうので、船の燈火など写りようもないのである。ところで「春障子」という季語はないようだけれど、我が歳時記では採用したくなるほどに、この言葉はそれ単体で春ならではの情緒を醸し出していると思う。隠岐島でなくとも、都会地であっても、春の障子にはそれぞれにそれらしい雰囲気があるからである。ただ残念なことに、障子それ自体が一般家庭では絶滅の危機に瀕していることもあり、障子の認知度は低くなる一方だ。下側から作業を進める障子紙の貼り方も、もはや若い人には無縁であるし、これからは「障子」そのものが歳時記的に市民権を維持することはないだろう。古い建具がすたれていくのは時代の流れであり、同時に句のような情緒も消えていくということになる。愚痴じゃないけれど、こうした句に接するたびに「昔はよかった」と思ってしまう。「文化」は「情緒」を駆逐する。(清水哲男)


March 1531999

 かりそめにはえて桃さく畠かな

                           心 流

のページで何度か紹介した柴田宵曲(しょうきょく・1897-1966)の『古句を観る』(岩波文庫・緑106-1)は、元禄時代の無名俳人の句ばかりを集めて観賞解説した奇書である(いまも本屋さんで670円で売ってます)。机辺に置いてときどき拾い読みをしているが、俳句の巧拙とは関係なく、当時の人たちの自然や社会との付き合いの様子がよくわかって、面白いし、好もしい。いわゆる「江戸趣味」の持ち合わせはないのだけれど、読んでいて、とても心のなごむ気がする。この句も、私にとって、当世の流行語を借りれば「癒し」を感じさせられる五七五であって、宵曲も書いているように「別にいい句でもないが、何となくのんびりしている」ところが大好きだ。句意は、畠の隅にそれこそ何となく生えてきた桃の木をうっちゃっておいたら、いつの間にか花が咲きはじめたなあ、ということである。ただ、それだけのこと。明治期に空想を排し写実を称揚した正岡子規がこの句を知ったら、何と言っただろう。ベタ讃めした可能性も、大いにあったのではあるまいか。宵曲は「こういう技巧のない、大まかな句を作ることは、近代人にはむずかしいかも知れない」と書いている。その通りだ。作者が大真面目なだけに、大まかさが生きてくる見本でもある。(清水哲男)




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