彼岸の入り。容赦なく月日は流れる…。彼岸の人々を思うと、余計にそんな気になる。




1999ソスN3ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1831999

 三田といへば慶応義塾春の星

                           深川正一郎

応の出身者なら、それも母校愛のある人にとっては、大満足の句だろう。とにかく、格好がよろしい。一読、おぼろにうるんだ春の星のまたたきの下で、愛する母校を誇らしく回想している句だと思えるからだ。が、作者は、実は慶応義塾とは何の関係もない人だった。最終学歴は、四国伊予は川之江二州学舎。大正十年にここを卒業し、兵役を経て菊池寛の文藝春秋社に入社すべく上京して、雑用をしながら小説を書いたりしていた。すなわち、この句は、そんなふうにして東京に生活していた若者の慶応義塾への「憧れ」を詠んだものだ。「野球といえばジャイアンツ」と言うに近い心持ちである。もう故人となってしまったが、松竹の助監督だった私の友人が、上海ロケに出かけたときのエピソードがある。夕刻、仕事も終わって近所の公園を散歩していたら、人品骨柄いやしからぬ中国人の紳士が近寄ってきて、話しかけてきたそうだ。「日本の方とお見受けしましたが、最近の『三田』はどうなっておりますでしょうか」。紳士は「三田といへば慶応義塾」の時代の学生だったという。古き良き時代、春の星もさぞや美しかったことだろう。『正一郎句集』(1958)所収。(清水哲男)


March 1731999

 退屈な和尚と鴉ぜんまい伸び

                           長谷川草々

の境内だろうか。まことにのんびりとした暖かい春の午後である。退屈な「和尚」と「鴉」と、そして「ぜんまい」と。なにやら三題咄でもできそうな取り合わせだが、こんなにもお互いが無関心では、取り付くシマもない。そんなバラバラの対象を、あえて五七五の調べに乗せてみせた「おとぼけ」の味が利いている。提出されているのは呑気な光景だが、作者の感覚はとても鋭い。食用に摘まれるでもなく、毎春、このようにして伸びるがままにされている「ぜんまい」の呑気な境遇が、読者に一層の楽しさを呼びかけてくる。句の主人公は「ぜんまい」だが、それをいわばソフト・フォーカスでとらえたあたり、作者の得難い才能を思う。漫才の「ボケ」が難しいように、俳句のそれも難しい。四角四面のシーンならば、誰にでもある程度は形にできるけれど、芒洋とした呑気な光景は、なかなかちゃんと詠むのには難儀な対象なのである。川端茅舎に「ぜんまいののの字ばかりの寂光土」がある。四角四面のシーンを「のの字ばかり」と春の雰囲気に崩してみせたところは、長谷川草々とはまた別種の才能だが、これまたたいした腕前と言わなければならない。(清水哲男)


March 1631999

 燈を消せば船が過ぎをり春障子

                           加藤楸邨

岐島での諷詠。隠岐島は、出雲の北方およそ四十キロに位置する二つの島からなる。作者が「さて、寝るとしようか」と、宿の部屋の燈を消して床につこうとしたら、海を行き交う船の燈火がぼんやりと障子に写っていたという図。いかにも、ほんのりと春めいてきた暖かな夜を暗示していて、心地好い句だ。冬の宿であれば、当然雨戸を閉めてしまうので、船の燈火など写りようもないのである。ところで「春障子」という季語はないようだけれど、我が歳時記では採用したくなるほどに、この言葉はそれ単体で春ならではの情緒を醸し出していると思う。隠岐島でなくとも、都会地であっても、春の障子にはそれぞれにそれらしい雰囲気があるからである。ただ残念なことに、障子それ自体が一般家庭では絶滅の危機に瀕していることもあり、障子の認知度は低くなる一方だ。下側から作業を進める障子紙の貼り方も、もはや若い人には無縁であるし、これからは「障子」そのものが歳時記的に市民権を維持することはないだろう。古い建具がすたれていくのは時代の流れであり、同時に句のような情緒も消えていくということになる。愚痴じゃないけれど、こうした句に接するたびに「昔はよかった」と思ってしまう。「文化」は「情緒」を駆逐する。(清水哲男)




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