草田男と会った正確な日付が判明。長年の胸のつかえが下りた。竹中宏の尽力による。




1999ソスN3ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2231999

 たんぽぽの絮吹いてをる車掌かな

                           奥坂まや

間の駅。単線だと、長い時間停車して擦れ違う列車を待つ。少し疲れた客はホームに降りて、背伸びなんかをしたりする。ベテランの車掌はホームの端のたんぽぽ(蒲公英)を無造作に摘んで、いかにも所在なげに絮(わた)をふっと吹いている。その子供っぽい仕草に、作者は好感を覚えつつ、春ののどかさを味わっている。私などにも、とても懐しい光景だ。ところで一点、私は「吹いてをる」という文語調にひっかかった。作者は現代の人なのに、なぜ「吹いている」ではいけないのだろうか。ひっかかったのは、外山滋比古『俳句的』(みすず書房・1998)を読んだ影響もある。外山氏の一節。「俳句は文語によることになっている。どうして文語でなくてはいけないのか、と反問する野暮もない。口語に比べて文語の方が何となく、すぐれているように感じる向きがすくなくない」。句の場合、べつに作者はエラそうにしているわけではないが、多少は「をる」のほうが「すぐれている」と思ったのかもしれない。思ったとすれば、根拠は文語表現のほうが句のすわりがよいという点にあるだろう。すなわち、伝統によりかかっての安心感があるということ。とかく口語の腰はふらつく。が、ふらつく口語と取っ組み合わない文芸ジャンルに、未来は期待できない。俳誌「鷹」(1998年6月号)所載。(清水哲男)


March 2131999

 なほ煙る炭窯一つ初ざくら

                           亀井絲游

桜(「初花」とも)は、その年にはじめて咲いた桜のことを言うが、厳密な意味はない。最初に目にとまった桜花程度の意味が本義だ。植物学的な開花順序も関係ないので、桜の種類はなんであっても構わない。ただ、特筆すべきは「桜」や「花」などと同格に、歳時記では「初桜」にも季語の主項目が与えられているというあたりで、このことは昔から、如何に桜の開花が多くの人々に待たれていたかを証明している。現代でも、気象庁がしゃかりきになって開花予想を立てるのは、ご承知のとおり。この句の場合は「初桜」本義のように、いつ咲いたのかは知らねども、なにげなしに山を見上げたら、炭焼窯の煙一筋のかたわらに咲いていたという情景である。炭焼きは主として冬場の仕事だから、春になっても煙をあげている窯はかなり珍しい。その珍しい煙をいぶかしく眺めた作者の目の流れに、すうっと桜の花が入ってきた。ああ、春が来たんだなあ……という叙情。こんな光景に出くわしたら、私はカメラを向ける。が、カメラなど無関係な生活者の目でないと、こういう句は作れまい。同じ初桜でもたとえば金子潮に「初花の雨風窓打つ決算期」という苦い句があり、サラリーマン諸氏には、この句のほうが身近だろう。でも、上掲の句のほうを好ましいと思うだろう。(清水哲男)


March 2031999

 壁の貼繪は天皇一家芽独活煮る

                           松村蒼石

書に「長野に初めて風光(清水風光・俳人)を訪ふ」とあるから、自宅の景ではない。招かれた宅の壁に天皇一家の写真が貼ってあり、台所ではもてなしのための芽独活が煮られている。都会の喧騒を遠く離れた田舎家の静かなたたずまいが、好もしい。戦前の家庭の壁には、よく雑誌の付録として新年号などについてきた天皇や天皇夫妻の写真(御真影)が貼ってあったものだが、句は戦後も十数年を経た時期のものだから、「天皇誕生日」か何かのときの新聞写真の切り抜きかもしれない。作者はその写真に単に「ほお…」と思っただけで、写真を貼った主人の気持ちまでをも忖度しているわけではない。ネコにもシャクシにも、とにかく怒涛のようなアメリカ製民主主義が押し寄せていた当時にあって、たしかに壁の天皇写真は珍しくはあったろう。が、蒼石は否定もしていなければ、肯定もしていない。時代の潮流に翻弄されている都会との差を、この一枚の写真で明晰にしただけなのである。戦前から時間がとまったような地方のつつましい雰囲気を、写真という小道具で巧みに演出してみせた腕の冴え。『春霰』(1967)所収。(清水哲男)




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