昨日、毎日利用している小田急バスがストを打ち抜いた。不快感なし。よくやった。




1999ソスN3ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2731999

 川ゆたか美女を落第せしめむか

                           平畑静塔

塔の年譜を見ると、大阪女子医大に勤務していたことがあるというから、そのときの句だろう。進級の及落判定をしなければならず、成績のよくない美人の女子学生のことで、はたと思案するということになった。言ってみれば自分のさじ加減ひとつで彼女の落第がきまるのだから、慎重にと思うのだが、客観的には落第点をつけざるをえない。教官室の窓から外を見やると、まんまんと水をたたえた春の川がゆったりと流れている。そんな自然の豊かな営みを眺めているうちに、及落判定などどうでもよいという感覚になってきたのだけれど、しかし、彼女をどうしたらよいのかという現実問題にも気持ちは立ち戻り、悩むところだなアと嘆息するばかりだ。春爛漫の季節だからこその、この悩み。第三者である読者には、一種の滑稽感もある。そしておそらく、この美女は落第させられたであろう。そんな気がする。でも、そのときの川が「ゆたか」であったように、その後の美女の人生も「ゆたか」であったろうと、一方では、そんな気もする。句に、まったくとげとげしさがないためである。『月下の俘虜』(1955)所収。(清水哲男)


March 2631999

 蝿生れ早や遁走の翅使ふ

                           秋元不死男

近はとんとお目にかからなくなったが、どこの家庭にも「蝿叩き」があったころの句。越冬した大人の蝿はもちろん、春に生まれる子供の蝿も、容赦なく打たれる。不衛生の権化ないしは象徴として、昔から蝿は打たれつづけてきた。あまりにも可哀相だと、一茶が例の有名な句を作ったほどだ。したがって、生まれたばかりの赤ちゃん蝿も、句のようにはやくも遁走の翅(はね)を使いはじめているという見立てである。作者の弁。「一茶にしろ、鬼城にしろ、どちらも貧乏で……好んで小動物を詠んだのは、何か貧乏とかかわりがあるのかも知れない。わけて一茶には蝿の句が多い。私も子供のころ貧乏な生活の中で育った。蝿の多い路地もあったろうし、従って家の中まで飛びまわる蝿もめずらしくなく、敵視する気持もそれほど強くなかった」。句は、生まれてすぐに人間から「敵視」される運命と定まった赤ちゃん蝿に、同情もし、哀れとも感じている。戦前の「俳句事件」で二年間の獄中生活を送った作者の心情が、子供時代の貧乏生活にプラスされて、いわれなき敵視を受けておびえる蝿の仕草に寄り添っている。『瘤』(1950)所収。(清水哲男)


March 2531999

 紅枝垂雨にまかせて紅流す

                           鍵和田釉子

枝垂(べにしだれ)は、淡紅色の花が咲く枝垂桜のこと。京都・平安神宮神苑の紅枝垂桜は有名だ。長く伸びて柳のように垂れた枝にたくさんの花がついた姿は、それだけでも豪奢の感じを受ける。句では、その上に、春の柔らかい雨が、次から次へとかかってはすべり落ちている。豪奢も豪奢、この世のものとは思われぬほどの贅沢な美しさだ。花に嵐は迷惑だが、花に雨の情緒は纏綿(てんめん)として息をのませる。つい最近、東京は小石川後楽園で、このような雨の枝垂を見たばかりなので、余計に心にしみる句となった。枝垂桜で思いだした句に、大野林火の「月光裡しだれてさくらけぶらへり」という名句がある。しかし、このような月と桜の取り合わせは昔からよくあるけれど、枝垂桜に雨を流してみせた句は珍しいのではなかろうか。枝垂桜の生態によくかなった描写で、少しも力んだり無理をしていないところが素晴らしい。子供の頃に、花づくりに熱中したことがあるという作者ならではの観察眼によった堂々の傑作と言える。『花詞』(ふらんす堂文庫・1996)所収。(清水哲男)

[お断り]作者名の「ゆうこ」が「釉子」となっていますが、正しくは「のぎへん」に「由」という字です。ただし、この漢字は現在のワープロにはありません。作字をしてグラフィック化することも考えたのですが、当サイトのシステム上の問題が生じるため、断念しました。苦肉の策でこのように表記しましたが、誤記は誤記です。お詫びいたします。指摘してくださった方、ありがとうございました。それにしても、何かよい方法はないものでしょうか。この問題を解決しないと、鍵和田さんの作品は取り上げられなくなりますので。




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