1944年中野区大和国民学校入学。記念写真を見ると、大半が下駄履きで痩せている。




1999ソスN4ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0641999

 あたらしい帽子が太くて枝張る桜

                           穴井 太

カピカの一年生に出会っての所見と思われる。最近は違うかもしれないが、昔の男の子はみんな入学時に「あたらしい帽子」をかぶった。私も、桜の記章のついた学帽をかぶった。少し大きめの帽子だった。子供の成長は早いので、親はそれを見越して大きめの帽子を買うのである。世間の所見はそれを単に愛らしい姿としてとらえるのが常だけれど、作者は違っている。その大きな学帽を、たくましい「太くて枝張る桜」になぞらえている。実際、大きめの帽子をかぶると、何か巨大なものを頭に乗せたような気持ちになる。ついでに、ちょっぴり偉くなったような気もしたものだ。そこらあたりの心理を、作者はずばりと突いている。と同時に、帽子の主の将来を期待する優しい感情も込めている。このとき「枝張る桜」とは、ソメイヨシノではないだろう。ソメイヨシノにはひょろひょろした樹が多く、平均的な樹齢も四十年ほどと短い(とは、友人の話)。花の美しさだけを求めて交配させた結果、たくましさが失われたのだ。私に品種名はわからないが、もっと幹の色が黒い桜で、いかにも野趣溢れる樹木を見かける。句の桜はそれだろう。そんな「桜樹のようにあれよ」と、作者は一年生を激励しているようだ。『鶏と鳩と夕焼と』(1963)所収。(清水哲男)


April 0541999

 娘泣きゆく花の人出とすれ違ひ

                           星野立子

の名所に向かって、ぞろぞろと歩いていく人々。作者も、そのなかの一人だ。そんな浮かれ気分の道を逆方向に歩いてくる人も、もちろんいる。ほとんどは、地元の人だろう。いちいち擦れ違う人を意識するわけでもないけれど、作者の目はふと、向こうから足早にやって来る若い女性の姿にとらえられてしまった。「泣きゆく」というのだから、嗚咽をこらえかねている様子を、娘は全身から発していた。思わず、顔を盗み見てしまう。一瞬の「すれ違ひ」に、人生の哀楽を対比させて詠みこんだ巧みな句だ。桜の句には、花そのもののありようよりも、こうした人事を詠んだ句のほうが多いかもしれない。純粋に「花を見て人を見ず」というわけには、なかなかいかないということだ。いや、花見は「人見」や「人込み」とごちゃまぜになっているからこそ、独特な雰囲気になるのだろう。こんな句もある。「うしろ手を組んで桜を見る女」(京極杞陽)。さきほどの娘とは違って、この女性の様子はたくましいかぎりだ。今風に言うと「キャリア・ウーマン」か。作者は、この発見ににんまりしている。たった十七文字で、見知らぬ女の全貌をとらえ切った気持ちになっている。『實生』(1957)所収。(清水哲男)


April 0441999

 鴬の茶畠に鳴く四月かな

                           船 山

ことにもって呑気な句だ。楽しい句だ。ついでに言わせてもらえば、トルネード的に下手な句(笑)でもある。しかし、こんな句がひょいと出てくるから、俳句を読むのは止められない。茶摘み前の茶畠の近くで、鴬がきれいな声で鳴いている。歩いていても眠くなるような、そんな午後のひとときの光景だ。学生時代に、茶どころの宇治で下宿住まいをしたことがあるので、この雰囲気は日常のものだった。ただ、こんな句の良さなどは絶対に認めようとしない「俳句好き」にして、かつ生意気な政治青年であった。だから、いまさらのように、こういう句を面白いと思うようになった自分にびっくりしてもいる。この句は、電話機の横にメモを取るために置いてある「デスク・ダイアリー」の欄外に印刷されていた。昔は、どんな事務所にも置いてあったバインダー式の日めくりカレンダーである。今日が旧暦の何日であるとか、思わずも顔が赤くなるような格言であるとかが、とにかくごちゃごちゃと書いてあるのだけれど、あれらを毎日ちゃんと読む人はいるのだろうか。私は、たまにしか読まない。(清水哲男)




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