別当薫氏が死去。78歳。阪神の土井垣といい別当といい…。人は必ず死ぬんだなア。




1999ソスN4ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1841999

 朝寝しておのれに甘えをりにけり

                           下村梅子

語は「朝寝」。「春眠」と共通する世界であり、したがって春の季語とされてきた。なんでもないような句だけれど、一読、鋭い描写力だと(本当に)膝を打った。「おのれに甘えをりにけり」とは、なんと正確な心持ちの復元であろうか。たしかに、とろとろと半睡状態にある朝寝では、「おのれ」を甘やかしているのではなくて、このように「おのれ」に甘えているというのが正しいと思う。普通の行為では、なかなかそんなことはできない。しばしば自分を甘やかすことはあるにしても、自分を頼りにして甘えるなんてことは、ほとんど不可能に近い。句の「朝寝」は半睡状態だから、自分自身を半分ほどは他者のように認識できるということだろうか。単に、ずるずると寝ているのではない。半分は覚醒している自分に、甘ったれて寝ているのだ。甘美な認識といおうか、誰にも自然に訪れる癒しのメカニズムといおうか……。とにかく、朝寝の正体は、多くこういうことであるだろう。それにしてもこの季節、一度目覚めてから、またとろとろと眠る時間は、どうしてあんなに心地よいのでしょう。やはり、自分に甘えていることから来ているのでしょう……か。『沙漠』(1982)所収。(清水哲男)


April 1741999

 窓掛の春暁を覆ひ得ず

                           波多野爽波

暁は「しゅんぎょう」と発音するのが普通だが、この句では「はるあかつき」と読ませている。1944年、敗戦一年前の作品だ。作者は二十一歳。さて「窓掛(まどかけ)」とは「カーテン」のことと容易にわかるが、戦争中は英語は敵性用語として使用を禁じられていたので、この表現となった。念のために手元の現代の国語辞典で引いてみると、もはや「窓掛」は載っていない。とっくに死語なのである。作者が目覚めると、カーテンの隙間からほの白い朝の光が洩れ入ってきていた。カーテンがとくに小さいからというのではなく、覆い得ないと感じるほどの春の光の到来を喜んでいる図だ。「春眠暁を覚えず」というが、爽波は早起きだったのか、春暁の句が多い。なかには、戦後に作った「春暁のダイヤモンドでも落ちてをらぬか」という変な句もある。生活苦からの発想だろうか。そういえば、私が小学生のときの学芸会で、貧乏なロバ引きが歌う「どこか百円、落ちちゃいないか」という劇中歌があって、大いに流行したものだ。当時、村祭に親からもらう小遣いは十円と決まっていた。「百円」は憧れだった。あの頃は国民的に、ビッグな「落とし物」を探す雰囲気が蔓延していたのかもしれない。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)


April 1641999

 都わすれ去就の鍵は妻子らに

                           水口千杖

の頭自然文化園に、注意しないと見のがしてしまいそうな小さな野草園があって、オダマキの花の横に、毎春ミヤコワスレが可憐に咲く。花色は、紫ないしは白。元来は、山地に自生する地味な野菊の仲間(ミヤマヨメナ)であったが、昭和に入ってから栽培されはじめ、花屋にも出まわるようになったという。案外と歴史の浅い花であるが、ネーミングが秀逸だ。したがって「此処にして都忘れとはかなし」(藤岡筑邨)というように、花そのものの印象よりも名前に引きずられた発想の句が多い。掲句も同様だ。が、この場合はもっと切実。おそらく作者は、意にそまない仕事に疲れているのだろう。いっそのこと遠くの地に転職でもしたいと考えているのだが、妻子の動揺を思うと、なかなか踏み切れない。春は転身の季節だから、毎年、この花が咲くころにそのことを思う。しかし、結局は、決心のつかぬままに何年も過ぎてしまった。そしてこの春もまた、庭に「都わすれ」が咲きはじめた。男たちにとっては、すんなりと共感できる哀しい自嘲句だ。なお、歳時記によっては「都忘れ」は秋に分類されている。元種の野菊と解すれば、そうなる。(清水哲男)




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