ゴールデン・ウイーク間近。農家の繁忙期。直前まで忙しいのが、我ら零細文筆業者。




1999ソスN4ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1941999

 雨上る雲あたたかに蝌蚪の水

                           松村蒼石

蚪(かと)は「おたまじゃくし」のこと。この季節、水の入った田圃(たんぼ)などには、無数のおたまじゃくしが群れている。かがんで眺めていると、時の経つのも忘れてしまうくらいだ。雨上がりのやわらかい陽射しのなかで、作者はそうして、しばし眺め入ったのであろう。水底にはおたまじゃくしの黒い影がちろちろと動き回り、水面には白い雲の姿が映ってゆったりと流れている。いかにも春らしい至福のひとときである。昭和十二年(1937)の作。そういえば、私が子供だった頃には、何かというと道端でしゃがんだ記憶がある。おたまじゃくしやミズスマシやメダカなどの生き物を見る他にも、田圃に撒かれた石灰が泡を吹いている様子だとか、包丁を研いだり鋸(のこぎり)の目立てをやっている人の手付きなどを、しゃがみこんでは飽かず眺めていた。ひるがえって、いまの子供たちはしゃがまない。第一、しゃがんでまで見るようなものがない。コンビニの前などでしゃがんでいるのは高校生や大学生だが、彼らは別に何かを見ているというのではないだろう。『寒鴬抄』(1950)所収。(清水哲男)


April 1841999

 朝寝しておのれに甘えをりにけり

                           下村梅子

語は「朝寝」。「春眠」と共通する世界であり、したがって春の季語とされてきた。なんでもないような句だけれど、一読、鋭い描写力だと(本当に)膝を打った。「おのれに甘えをりにけり」とは、なんと正確な心持ちの復元であろうか。たしかに、とろとろと半睡状態にある朝寝では、「おのれ」を甘やかしているのではなくて、このように「おのれ」に甘えているというのが正しいと思う。普通の行為では、なかなかそんなことはできない。しばしば自分を甘やかすことはあるにしても、自分を頼りにして甘えるなんてことは、ほとんど不可能に近い。句の「朝寝」は半睡状態だから、自分自身を半分ほどは他者のように認識できるということだろうか。単に、ずるずると寝ているのではない。半分は覚醒している自分に、甘ったれて寝ているのだ。甘美な認識といおうか、誰にも自然に訪れる癒しのメカニズムといおうか……。とにかく、朝寝の正体は、多くこういうことであるだろう。それにしてもこの季節、一度目覚めてから、またとろとろと眠る時間は、どうしてあんなに心地よいのでしょう。やはり、自分に甘えていることから来ているのでしょう……か。『沙漠』(1982)所収。(清水哲男)


April 1741999

 窓掛の春暁を覆ひ得ず

                           波多野爽波

暁は「しゅんぎょう」と発音するのが普通だが、この句では「はるあかつき」と読ませている。1944年、敗戦一年前の作品だ。作者は二十一歳。さて「窓掛(まどかけ)」とは「カーテン」のことと容易にわかるが、戦争中は英語は敵性用語として使用を禁じられていたので、この表現となった。念のために手元の現代の国語辞典で引いてみると、もはや「窓掛」は載っていない。とっくに死語なのである。作者が目覚めると、カーテンの隙間からほの白い朝の光が洩れ入ってきていた。カーテンがとくに小さいからというのではなく、覆い得ないと感じるほどの春の光の到来を喜んでいる図だ。「春眠暁を覚えず」というが、爽波は早起きだったのか、春暁の句が多い。なかには、戦後に作った「春暁のダイヤモンドでも落ちてをらぬか」という変な句もある。生活苦からの発想だろうか。そういえば、私が小学生のときの学芸会で、貧乏なロバ引きが歌う「どこか百円、落ちちゃいないか」という劇中歌があって、大いに流行したものだ。当時、村祭に親からもらう小遣いは十円と決まっていた。「百円」は憧れだった。あの頃は国民的に、ビッグな「落とし物」を探す雰囲気が蔓延していたのかもしれない。『鋪道の花』(1956)所収。(清水哲男)




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