April 301999
黒服の春暑き列上野出づ
飯田龍太
修学旅行の「黒服」である。東京の中高生はあまり東北地方に修学旅行には出かけないので、上野駅から汽車に乗った団体は、帰途につくところだろう。それでなくとも暑い春の日なのに、黒服の団体と遭遇したあっては、むうっとするような蒸し暑い光景だ。しかも、生徒たちは疲れている。その様子が、ますます蒸し暑さを助長する。そんな彼らの乗り込んだ列車が、たったいま発車していった。「やれやれ」という、春の午後である。いまは知らないが、昔はデパートなどの隠語で、修学旅行生のことを「カラス」と言っていたそうだ。もちろん「黒服」からの連想である。私もまた「カラス」の一羽となって、中学時代は日光へ、高校のときは奈良京都へと出かけていった。まだ船木一夫の『修学旅行』が歌われていなかった頃だけれど、後で聞いたときには、歌そっくりの気分で参加していた自分を確認する思いがしたものだ。で、いつだったか、新聞に「この歌は嫌い」という投書が載っていたのを覚えている。中学を出てすぐに働いた人からのもので、「この歌を聞くたびに口惜しくて泣いていました。だから、嫌い」とあった。行きたくても高校に行けない若者のいた時代があったことを、忘れてはいけない。(清水哲男)
May 022015
春暑き髪の匂ひや昇降機
小泉迂外
ゴールデンウィーク前に東京は夏日、北海道では十七年ぶりの四月の真夏日だったという。いわゆる、いい季節、が短くなってゆくこの頃、なるほど春暑しか、と思ったが、常用している歳時記には無く見慣れない。そこで周りに聞いてみると、なんか詩的じゃない言葉ね、と言われた。確かに、惜しむはずの春がうっとおしく感じられる気もするし、夏近し、のような色彩も期待感もなくなんとなく汗ばんでいる。しかし、掲出句のエレベーターの中で作者が感じ取った髪の匂いは、夏の汗の臭いのようにむっとするほどでなく、かといって清々しいというわけでもなく、どこか甘く艶めかしい、まさに春暑き日の名残の匂いだったのだろう。何が詩的か、とはまことに難しい。『俳句歳時記』(1957・角川書店)所載。(今井肖子)
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