May 071999
山葵田に醤油どころの御一行
武田夕子
ふふふっと、思わずも。現代風談林派的一句とでも言うべきか。故・林家三平ならば「どこが面白いのかと言うと……」と、得意満面でやるところだ。でも、刺身や鮨を知らない外国人には、解説しても可笑しさは伝わらないだろう。醤油どころというのだから、たとえば千葉県野田市あたりの観光客御一行(ごいっこう)が、信州の山葵田(わさびだ)を訪れたというわけだ。これに漁業組合の団体でも合流したら、立派な刺身になる(笑)。ただし、こういう句は一瞬面白いのだが、すぐに飽きてしまうのも事実だ。その点では、一度しか使えない小咄のネタに似ている。山葵といえば、最近「山葵ビール」なるものを飲んだ。正確に言えば「山葵エキス入り発砲酒」。岩手の某酒造が売り出したこの珍奇な飲み物は、山葵の香が口いっぱいに広がって、最初の一杯はなかなかに美味い。期待した山葵の辛味は抜いてある。が、それこそ一瞬は美味いのだが、二杯目からは逆にエキスの香が鼻についてきて、極端に味が落ちる感じだった。これまた、現代風談林派的発砲酒というところか。話題性は十分だが、永続性となると難しい。「朝日俳壇」(朝日新聞・1999年5月2日付 [金子兜太選] )所載。(清水哲男)
March 042003
水浅し影もとどめず山葵生ふ
松本たかし
季語は「山葵(わさび)」で春。「生ふ」は「おう」。曲亭馬琴編『俳諧歳時記栞草』に「山葵、加茂葵に似て、其根の形・味、生姜に似たり。故に山葵・山姜の名あり。中夏(もろこし)の書にみえず。漢名しらず」とある。漢名がわからないのも道理で、日本だけにしか生えない植物だ。私の育った山口県の山陰側の渓流には、自生していた。山葵の句のほとんどは栽培してある山葵田を詠んだもので、なかなか自生している姿を詠んだものは見当たらない。なかで、掲句はどちらとも取れるけれど、どちらかといえば自生の姿ではなかろうか。春光の下、生えてきた「影もとどめ」ぬ、すっきりと鮮かな緑の姿が、私の郷愁を誘う。暗くて寒い農村にも、ようやく春がやってきたのだ。学校帰りに、よく小川をのぞき込んだものだった。小さな魚や蟹たちが動き回り、芹や山葵が点在し、浅い水はあくまでも清冽で、掬って飲むこともできた。そんな山葵しか知らなかったので、のちに信州穂高町の巨大な山葵田を見たときには仰天したが、あれはあれでとても美しい。以下は余談的引用。「すしとワサビの結び付きは江戸後期からで、1820年(文政3年)ころ江戸のすし屋・華屋与兵衛がコハダやエビの握りずしにワサビを挟さむことを考案し、評判となった。しかし、20年後には天保の改革により、握りずしはぜいたく品とされ、与兵衛は手鎖(てじょう)軟禁の刑に処せられ、一時衰退する。ワサビとすしの組合せが全国的に広がるのは明治になってからである〈湯浅浩史〉」。『新日本大歳時記・春』(2000)などに所載。(清水哲男)
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