May 091999
そら豆剥き終らば母に別れ告げむ
吉野義子
ひさしぶりに実家に戻っている娘が、老いた母のもとを去りがたく思っている。もう少し母と一緒にいたいと思いながらも、そろそろ出発しなければ、列車の時間に間に合わない。母の夕餉のためのこの蚕豆(そらまめ)をむき終わったら、帰ることにしようと心に決めている。どこか、短歌的な世界を思わせる(字余りの技巧)情感溢れる作品だ。それはそれとして、父と子との場合は、こういうふうにはならない。「じゃ、また……」などと、そっけなく息子は帰っていく。淡白なものだ。そこへいくと、母と娘の情愛の濃さは、私など男にとっては不思議に思えるほどである。ひさしぶりの邂逅にも、すぐに口喧嘩をはじめたかと思えば、次の瞬間にはけろりと笑い合ったりしている。まことに母娘の関係は測りがたしと、我が家の女性たちを見ていても、つくづくと思ってきた。そんな関係のなかで、娘は一心に蚕豆をむいている。さみどり色の大粒の蚕豆を台所に残して、娘はまた彼女の実生活に戻っていくのだ。束の間としか思えなかった母親との時間。別れた後に、この蚕豆のきれいな色彩が、娘より母への万感の感情を手渡してくれるだろう。(清水哲男)
April 242005
ていれぎや弘法清水湧きやまず
吉野義子
季語は「ていれぎ」で春。ただし、ほとんどの俳句歳時記には載っていない。先日実家を訪ねた折り、母と昔話をしているうちに「もう一度『ていらぎ』が食べたいねえ」という話になった。で、何か「ていらぎ」の句はないものかと調べてみたら、この句に出会った。山口県では「ていらぎ」と呼びならわしていたが、句の「ていれぎ」と同じものだ。現在でも愛媛県松山地方では「ていれぎ」と言い、松山市指定の天然記念物になっているから、ご存知の読者もおられるだろう。「秋風や高井のていれぎ三津の鯛」(正岡子規)。アブラナ科の多年草で、清流に育つ美しい緑色の水草だ。正しくは大葉種付花と言うらしく、クレソンに似ているが別種である。物の本には必ず「刺身のつま」にすると書いてあるけれど、私の子供の頃には大量に穫ってきて鍋で茹で、醤油をばしゃっとかけておかずにしていた。若芽を生で噛むとほのかな辛みがあるが、茹でると抜けてしまうのか、小さい子でも食べることができた。食糧難の時代だったからか、これがまた美味いのなんのって、そこらへんの野菜の比ではなかった。まさに野趣あふれる草の味だった。そんなわけで掲句を見つけたときには、一瞬「食べたいな」と思ってしまったが、もちろん食欲とは無関係な句だ。「弘法清水」は新潟県西蒲原郡巻町竹野町にあって、弘法大師が水の乏しい良民のため地面に錫を突き立てて掘ったという伝説に基づく。行ったことはないのだが、「ていれぎ」との取り合わせでその清冽な水のありようがわかるような気がする。ああ「ていらぎ」を、もう一度。『新日本大歳時記・春』(2000・講談社)所載。(清水哲男)
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