不要CDをハンガーに糸で吊るすカラスの撃退法。虹色の反射光が効果的と三鷹市報。




1999N517句(前日までの二句を含む)

May 1751999

 日輪を送りて月の牡丹かな

                           渡辺水巴

の王者と呼ばれる豊麗な牡丹の花は、蕪村の有名な「牡丹散りて打かさなりぬ二三片」をはじめ、多くの俳人が好んで題材にしてきた。巧拙を問わなければ、俳句ではもう何万句(いや、何十万句かもしれない)も詠まれているだろう。いまやどんな牡丹の句を作っても、類句がどこかにあるというほどのものである。すなわち、作者にとって、なかなかオリジナリティを発揮できないのが、牡丹の句だ。この花を詠んで他句に抜きん出るのは至難の業だろう。原石鼎のように「牡丹の句百句作れば死ぬもよし」とまで言った人がいる。とても、百句など作れそうもないからだ。だから、誰もが抜きんでるための苦心の工夫をほどこしてきた。で、水巴の句は見事に抜きん出ている一例ではあるが、しかも名句と言うにもやぶさかではないけれど、なんだかあまりにも技巧的で、逆に落ち着かない感じもする。「月の牡丹」とはたしかに意表を突いており、日本画を見るような趣きもあり、テクニック的には抜群の巧みさだ。しかし、悲しいかな、巧いだけが俳句じゃない。「日」と「月」と大きく張って、しかし、この句のスケールのなんという小ささだろうか。言葉をあやつることの難しさ。もって小詩人の自戒ともしたいところだが、しかし、やはり図抜けた名句ではありますぞ。『水巴句集』所収。(清水哲男)


May 1651999

 生きてゐるしるしに新茶おくるとか

                           高浜虚子

争中(1943)の句。句集では、この句の前に「簡単に新茶おくると便りかな」が置かれている。簡単な便りというのだから、短い文面だ。虚子が読んだのは葉書だろうか。当時の葉書は紙質も粗悪で、現在のそれよりも一回り小型だった記憶がある。簡単の上にも簡単に書かざるを得ない。「新茶」を送る理由は、ただ「生きてゐるしるし」とのみ。今の世にこの句を置いてみると、なんだかトボけた味わいの作にも読めるが、戦時中なのだから、そんなに呑気な気分では詠まれてはいない。「生きてゐるしるし」の意味が、まったく違うからだ。今だと「ご無沙汰失礼。齢はとったけど何とかやっています」くらいの意味になろうが、当時だと「戦火激しき折りながら、幸運にも生き延びています」ということになる。作者はその短い文面をくりかえして読み、「こんな時節に、無理をして新茶など送ってくれなくてもよいのに」と、贈り主の厚情に謝している。したがって「おくるとか」の「とか」は、「送ってくるとか何とか、そのようなことが書いてある」の「とか」ではあるけれど、そんな平板な用語法を感性的に越えている。感謝の念が、かえってはっきり物を言うことをためらわせているのである。『六百句』(1946)所収。(清水哲男)


May 1551999

 夏場所や汐風うまき隅田川

                           牧野寥々

場所。相撲好きの人にとってはたまらないだろう。しかも、一年でもっともビールがうまい時でもある。初日と二日目には、曙が休養明けにもかかわらず、無気力相撲で負けてしまった。最近は、大相撲も面白くない。それにつけてもこの句を見ると、昔の東京の隅田川は良かっただろうなあと思う。「汐風うまき」とは良くいった。我々が知った頃の隅田川は、まさにドブの臭いであったが……。もちろんこの句は、そのドブと化した隅田川の「昔」を偲んでのものに違いない。だからこそ、江戸っ子ならではの思いがこもっているのだ。作者の牧野寥々は明治45年(1912)東京生まれ。少年の頃よりの松根東洋城の「渋柿」門。こういう句は、こういう経歴のところからしか生まれない。『現代秀句選集』(別冊「俳句」1998年9月刊)所載。(井川博年)




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