細い歩道で自転車と擦れ違う。塀にへばりついてよけている者への挨拶は皆無に近い。




1999ソスN5ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2151999

 顔よせて鹿の子ほのかにあたたかし

                           三橋鷹女

語は「鹿の子(かのこ)」で、夏。単に「鹿」と言えば、秋の季題となる。親鹿の後について歩く鹿の子があまりに可愛らしいので、思わず顔を寄せると、ほのかにあたたかい体温を感じた。女性ならではの優しい心情だ。まず、おおかたの男はこういうことをしない。いや、できない。「頬よせて」ではなく「顔よせて」に注目。「顔をよせる」のだから、目はしっかりと鹿の子をとらえている。そしておそらくは、物怖じしない鹿の子の目も、作者を見つめ返しているのだろう。この交感のありようが、なおさらに女性を感じさせるのだ。この句に「母性を感じる」人もいると思うが、私などには「母性」よりも「女性」性に満ちた作品と写る。小さいころから、女性には自然にこういうことをする「性(さが)」が備わっていると思っている。やたらと「カワイイッ」を連発する女性には辟易させられるが、それもまた、こうした行為に自然につながっていく「性」のなせるところなのかもしれない。1936年の作。『向日葵』所収。(清水哲男)


May 2051999

 孤児たちに映画くる日や燕の天

                           古沢太穂

書に「港北区中里学園にて」とある。戦災孤児の収容施設かと思われる。楽しみにしていた巡回映画がやってくる日の、子供たちの沸き立つような喜びの気持ちが「燕の天」に極まっている。こうした施設にかぎらず、敗戦後の一時期、子供たちにとっての映画は「くる」ものであった。大都会ではどうだったのかは知らないが、私が通っていた村の学校にも、ときどき巡回映画がやってきた。そんな日は、嬉しくて授業にも身が入らない。昼食が終わると、みんなで机と椅子を教室の片側に寄せ、窓には暗幕がわりに社会科で使う大きな地図などを貼り付けて準備した。そこへ、16ミリ映写機とフィルムの缶を抱えたおじさんと先生が登場。拍手する子もいたっけな。おじさんはまず映写機の電源を入れ、シーツのようなスクリーンに向けて光を放ち、ピントを合わせる作業にかかる。僕らは、その段階から固唾をのんで見守ったものだ。そんなふうにして、数多くの映画を見た。谷口千吉の『銀嶺の果て』や黒沢明の『酔いどれ天使』といった大人向きの作品も、どういうわけか上映された。ラブ・シーンになると、先生があわててレンズの前を押さえていた。古沢太穂は共産党員で、苛烈な労働闘争の句も多いが、子供を見る目は限りなく優しかった。「巣燕仰ぐ金髪汝も日本の子」。「汝(なれ)」は米兵を父とする混血児である。『古沢太穂句集』(1955)所収。(清水哲男)


May 1951999

 先ず頼む椎の木もあり夏木立

                           松尾芭蕉

時中、日本の少年が南洋の島の王様になって活躍する『冒険ダン吉』(島田啓三)という人気漫画があった。リアルタイムで読めた最後の世代に属する私などに魅力的だったのは、ストーリーよりも、ダン吉や村人たちにはまったく飢餓の怖れがなかったというところだった。島のあちこちにはバナナの樹が群生しており、空腹になれば、彼らは好き勝手にバナナを食べればよかったのである。日常的な飢餓状態にあった東京の小学生(正式には「国民学校生」)には、なんとまぶしい南洋生活に写ったことか。彼らには「先ず頼む」バナナという強い味方があったのだ。ここで芭蕉も、食料がなくなれば「椎の木」を頼むことができるさ、と言っている。いよいよとなったら椎の実があるじゃないかと。その気持ちが、明るい夏木立にキラキラと反射している。芭蕉は奥羽北越の旅を終えてから、近江は石山近くの庵に入って静養した。「単に(ひたぶるに)閑寂を好み、山野に跡を晦(くらま)さんとにはあらず、やゝ病身人に倦(う)みて世を厭ひし人に似たり」(『幻住庵記』)という境地。もとより、芭蕉とダン吉の心情には水と油ほどの違いがあるが、双方の読者としては「先ず頼む」ものがあるという一点において、羨望の念を禁じ得ない。ところで、あなたの「先ず頼む」ものとは何でしょうか。漫画的蛇足ながら、バナナは「バショウ」科に属しています。(清水哲男)




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