1999N6句

June 0161999

 嘘ばかりつく男らとビール飲む

                           岡本 眸

ろいろな歳時記に載っている。ビールの句には、なかなかよい作品がないが、この句は傑作の部類に入るだろう。しかし、なぜか作者の自選句集からは削除されている。「男ら」とぼかしてはあっても、やはりさしさわりがあるためなのだろうか。作者とは無関係の「男ら」の一人としては、まあ「嘘ばかりつく」わけでもないけれど、女性が同席していると、ついつい格好をつけて大言壮語に近い発言はしたくなる。できもしないことを言ったり、過去を美化したりと、要するに女性に受けようと懸命になるわけだ。それを、こんなふうに見透かされていたのかと思うと、ギョッとする。うろたえる。だから、傑作なのだ。歳時記の編者はたいていが男なので、ギャフンとなって採り上げざるをえなかったのだろう。作者が考えている以上に、男はこうした句におびえてしまう。ただし、酒の席での男の欠点にはもう一つあって、嘘よりもこちらのほうが女性には困るのではあるまいか。すなわち、やたらと知識をひけらかし、何かというと女性に物を教えたがるという欠点。そんな奴に、いちいち感心したふりをして相槌を打つ女性もいけないが、調子に乗る男はもっと野暮である。たまに、私もそうなる。夕刻の「ちょっとビールでも」の季節にも、いやはや疲れる要因はいくらでもあるということか。(清水哲男)


June 0261999

 万緑に黄に横に竹四つ目垣

                           上野 泰

覚的に面白い句。「黄に横に竹四つ目垣」の、それぞれの漢字をよく見てみると、ほとんどが縦横に垂直な線で構成されていて、なるほどいかにも「四つ目垣」である。さしたる発見もない句だけれど、なんとなく可笑しい。句の背後で、きっと作者もほくそ笑んでいることだろう。気取って読むと、モンドリアンの絵画にも通じる構成の妙ありとでも言いたくはなるが、ま、この読み方はいささか牽強付会に過ぎる。とりあえず、こういう俳句も「あり」ということだ。昨今はブロック塀の進出が著しく、四つ目垣も昔のようには見られなくなった。そもそも家庭の垣根という発想やオブジェが都会の産物であり、他の産物と同様に、垣根もまた都会の文法の変化とともに変わっていく。ちかごろの都会の自治体では、町に「緑を取り戻す」ために、ブロック塀から四つ目垣などに作り替える家には助成金を出すところも出てきた。しかし、こうした助成金は作り替えるときの費用の一部になるだけなのであって、その後の垣根の手入れなどについてまで面倒を見ようとはしていない。これでは、簡便なブロック塀に勝てるわけがない。「黄に横に竹四つ目垣」の景観を再現したいのならば、この他にも考えるべき点は山ほどある。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)


June 0361999

 はたらいてもう昼が来て薄暑かな

                           能村登四郎

ほど体調がよいのだろう。仕事に集中できているから、あっという間に時間が経ってしまう。ふと空腹を覚えて時計を見ると、もう昼時である。表の陽光には、既に夏に近いまぶしさが感じられる。心身ともに心地好い充実感で満たされた一句だ。しかし同日の同じ職場にも、一方では「まだ昼か」と、時間の経過を遅く感じている人もいただろう。人それぞれの時間感覚は、それこそそれぞれに違っていて面白い。たとえば、妙に就寝時刻にこだわる人もいる。日付が同じ日のうちに床につくと、何だかとても損をしたような気になる人は結構多い。たとえ5分でも10分でも明日まで起きていないと、気がすまないのである。でも、他人のことは笑えない。私の場合は、表の明るさにこだわる性質(たち)だからだ。表が明るくなっても寝ているのは、とても損な気がしてならない。だから、夏場になると、どんどん早起きになる。昼寝も、なるべくしないようにする。理由は考えたこともないのだけれど、ひょっとすると代々受け継いできた農民の血のせいなのかもしれぬ。と、時々そう思ったりする。『人間頌歌』(ふらんす堂文庫・1990)所収。(清水哲男)


June 0461999

 君地獄へわれ極楽へ青あらし

                           高山れおな

山れおな(本名)は、本年度「スウェーデン賞」(宮城県中新田町の賞)の受賞俳人。男性。句の漢字と平仮名の字配りを見てもわかるように(「青嵐」ではなく「青あらし」と平仮名にこだわるところ)、なかなかに言語感覚に優れた人だと思う。いわゆるセンスがいいのだ。句の中身を「いい気なものだ」と思ったら、間違いである。「地獄」行きであれ「極楽」行きであれ、どうせ死んだら同じことだと、作者はすがすがしい青嵐のなかで感じているだけのことなのだから……。「地獄」と「極楽」に分かれるということは、現世でしか一緒にいられないという思いを強くしていることでもある。君を「地獄」行きと言っているのは、自分を「地獄」行きと規定したら「詩」にならないとわかっているからだ。本当は、どっちだっていいのだけれど、作者はみずからの「詩」の発現のためにだけ、こう詠んでいる。この人の俳句としては、必ずしも良い出来ではないかもしれない。が、私はこの飛び上がり方が、今後の俳句界にはよい影響をもたらすような気がしている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)


June 0561999

 ジーンズに腰骨入るる薄暑かな

                           恩田侑布子

手いなア。洗いたてか、新調か。ごわごわしたジーンズを穿くときには、たしかにこんな感じになる。ウエスト・ボタンをかけるときの、あのキュッと腰骨を締め上げる感覚が、これから夏めいてきた戸外に出ていく気分とよくマッチしていて、軽快な句に仕上がっている。極めて良質な青春句だ。ジーンズといえば、私は一年中ジーンズで通している。親しかった人の葬儀にも、ジーンズで出かける。これだと、黒づくめの集団に埋没することなく、故人がすぐに私を識別できると思うからだ。変わっていると言われるけれど、急に真っ黒なカラスに変態する人のほうが、よほど変わっている。こんな具合で、室内着兼外出着兼礼服兼……と、三十代からずっとそうしてきた。会社勤めのころには、いっぱしにスーツやネクタイに凝ったこともあったけれど、一度ジーンズの魅力に取りつかれてしまうと、ネクタイ趣味など金がかかるだけで愚劣に思えてくるのだった。作者の場合のジーンズは気分転換のためだが、私の場合は、気分の平衡感覚を崩さないためである。スヌーピーの漫画に出てくる「ライナスの毛布」のようなものかもしれない。ということは、精神的に幼いのかなア。(清水哲男)


June 0661999

 衣紋竹片側さがる宿酔

                           川崎展宏

飲みならば、膝を打つ句。ただし、現在ただいま宿酔(二日酔い)中の人が読むと、ますます気分の悪くなる句だ。衣紋竹(えもんだけ)は竹製のハンガーで、昔はどの家にも吊るされていた。涼しげなので夏の季語としてきたが、今では収録していない歳時記もある。現物が、ほとんど見られなくなったからだろう。深酒から目覚めて、ずきずきする頭のまま室内を見るともなく見回していると、傾いた衣紋竹に目が留まった。乱雑に、半分ずり落ちそうに、自分の衣服が掛けてある。そこに昨夜の狼藉ぶりが印されているようで、作者は後悔の念にとらわれているのだ。あんなに調子に乗って飲むんじゃなかった、そんなに楽しくもなかったのに……。もとより、私にも何度も覚えがある。ところで、二日酔いを何故「宿酔」と表現するのだろうか。「宿」の第一義は「泊る」であり、「泊る」とはずうっとそこに留まることだ。そこで、二日酔いは前日の酔いが留まっていることから「宿酔」。つまり、自分の身体が酒の宿屋状態になっている(笑、いや苦笑)わけだ。「宿題」や「宿敵」の「宿」と同じ用法である。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


June 0761999

 水ゆれて鳳凰堂へ蛇の首

                           阿波野青畝

語は「蛇」で夏。鳳凰堂は宇治平等院の有名な伽藍である。十円玉の裏にも刻んであるので、見たことがない読者はそちらを参照してください。前池をはさんで鳳凰堂を眺めていた作者の目に、突然水のゆれる様子がうつった。目をこらすと、伽藍に向かって泳いでいく蛇の首が見えたというのである。この句の良さは、まずは出来事を伏せておいて「水」と「鳳凰堂」から伽藍の優雅なたたずまいを読者に連想させ、後に「蛇の首」と意外性を盛り込んだところにある。たとえ作者と同じ情景を見たとしても、なかなかこのように堂々たる鳳凰堂の姿を残しながら、出来事を詠むことは難しい。無技巧と見えて、実はとても技巧的な作品なのだ。同じ「水」と「鳳凰堂」の句に「水馬鳳凰堂をゆるがせる」(飴山實)がある。前池に写った鳳凰堂の影を、盛んに水馬(あめんぼう)がゆるがせている。こちらは明らかに技巧的な作品だが、少しく理に落ちていて、「蛇の首」ほどのインパクトは感じられない。『春の鳶』(1951)所収。(清水哲男)


June 0861999

 休むとは流れることねあめんぼう

                           黒田早苗

語でなければ表現できない俳句世界はあるだろうか。最近、口語俳句について考える機会があって、口語俳句にこだわっている人々の俳句や五七五にさえなっていれば後は自由という作品などを、まとめて読んでみた。はっきり言って、なかなかよい句は見当たらなかった。なぜ、口語なのか。多くの句が、そのあたりのことを漫然とやり過ごしているように思えたからである。俳句のような短い詩型にあって、たとえば文語である「切れ字」を使用しないで物を言う口語は、かえって口語を不自由に窮屈にしているようだ。そんななかで、掲句は例外的と言ってもよいほどに、口語ならではの世界の現出に成功している。同じ心持ちを文語的に詠めないことはない。古来関西では「あめんぼう(水馬)」を「みづすまし」と呼ぶから、「休むとは流るることよみづすまし」などと……。でも、これでは「人間、サボッていると時代に流されてしまうぞ」という教訓句になってしまう。掲句の作者は、そんなことは露ほども思っていない。見たまま、感じたままを「あめんぼう」に呼びかけることで、伸び伸びとした「俳味」に通じる世界を出現させている。作者の年齢は二十五歳とあった。『自由語り』(第七回伊藤園「おーいお茶」新俳句大賞入選作品集・1996)所載。(清水哲男)


June 0961999

 夜の蟻迷へるものは弧を描く

                           中村草田男

の畳の上に、どこからか迷いこんできた蟻。電灯の光の下で、おのれが置かれた異環境から逃れようと、半狂乱の様子で歩き回っている。見ていると、蟻はまさに歩き回っているだけなのであって、同じ弧を描くばかりだ。その円弧から少し外れれば、簡単に脱出できるのに……。思えば人間もまた、迷いはじめるとこの蟻のように、必死に同じところをぐるぐる回りつづけるだけなのだろう。まことに格調高く、句は「迷へるもの」の真髄を言い当てている。説教でもなく自嘲でもなく、作者は冷静に自己納得している。そして、もとより作者は、この蟻を殺さなかっただろう。数多い草田男句のなかでも、屈指の名句だ。わずかに十七文字の世界で、これだけの大容量の世界を表出できる俳人は、そうザラにいるものではない。以下、余談。この句にそってではなかったが、このような趣旨のことを、ある新聞に書いたことがある。ご覧になった作者のお嬢さんが、そのコラムを切り抜いて仏壇に上げてくださったと仄聞した。決して、自慢しているのではない。草田男の仕事の偉大を思う一人の読者として、涙が出るほどに嬉しかったので、どこかに書きつけておきたかっただけ。『来し方行方』(1957)所収。(清水哲男)


June 1061999

 吊皮にごとりとうごく梅雨の街

                           横山白虹

なずけますね。「ごとりとうごく」のは、物理的にはむろん電車のほうだが、梅雨空の下の街は灰白色でひとまとめになっているように見えるので、街のほうが傾いで動いたように思える。雪景色の場合はもっと鮮明に、そのように感じられる。これが逆に晴天だと、街の無数の色彩がそれぞれに定着した個を主張してくるので、街ぜんたいが揺れるようには写らない。「だから、どうなんだ」と言われても困るけれど、俳句表現とは面白いもので、この「だから、どうなんだ」という反問を、実は句の支えにして成立しているようなところがある。ここで俳句の歴史を詳述する余裕はないが、乱暴に言っておけば、俳句は常に一つの「質問」の構造を先験的に持つ文学だ。これは言うまでもなく「連句」の流れから来ている。発句を一行の詩として屹立させようとした正岡子規らの奮闘努力の甲斐もなく(!?)、無意識的にもせよ、反問をあらかじめ予知した上での俳句作りは後を絶たない。「反問」と言うから穏やかではないのであって、一句の後に読者が勝手に七七を付けてくださいよ(読者の印象を個人的にふくらませてくださいよ)と、いまだに多くの俳句は呼びかけを発しつづけている。こんなに独特な表現様式を持つ文学は、他にないだろう。(清水哲男)


June 1161999

 紫陽花や白よりいでし浅みどり

                           渡辺水巴

陽花(あじさい)は、別名を「七変化」とも言うように、複雑に色を変えていく。薄い緑色から白色、青色、そして紅紫色といった具合だ。句では「白よりいでし浅みどり」と変化過程にある紫陽花の一時期の色を詠んでいて、雑に読むと錯覚しやすいが、この「浅みどり」が薄い緑色ではないことがわかる。「白」の次は「青」でなければならないからだ。『広辞苑』を引くと「浅緑」には薄い緑色の意味の他に「薄い萌黄色」と出ている(「空色」とも)。この「萌黄色」がまた厄介で、黄緑色に近い色と受け取ると間違いになる。藍染めに源を持つ色彩に「浅黄色」があり、「薄い萌黄色」はこれに近い。つまり「薄い水色」だ。中世で「浅黄色」というと、薄い青色のことを指した。したがって、いまでは「浅黄色」と書かずに、青を強調して「浅葱色」と表記するのが一般的になっている。私たちが交通信号の「緑」を平気で「青」と言うように、日本人の色意識には、「緑」と「青」の截然とした区別はないのかもしれない。なんだかややこしいが、他にも日本の色の名前には面白いものがたくさんある(翻訳はなかなかに困難だ)。白秋の「城ケ島の雨」の英訳があって、外国人が歌っているのをレコードで聞いたことがある。「利休鼠の雨が降る」をどう訳していたのだったか。忘れてしまったのが残念だが、たしか「RAT」という言葉は入っていたように思う。『水巴句集』所収。(清水哲男)


June 1261999

 アジフライにじゃぶとソースや麦の秋

                           辻 桃子

題は「麦の秋」で、夏。「秋」を穀物の熟成する時期ととらえることから、夏であっても「麦の秋」と言う。麦刈りの人の昼食だろうか。あるいは、労働とは無関係な人の、一面に実った麦を視野に入れながらの食事かもしれない。空腹の健康とたくましい麦の姿が、よく照応している。「さあ、食べるぞ」という気持ちが活写されていて、気持ちのよい句だ。ひところ話題になった「お茶漬けの友」のテレビCMの雰囲気に同じである。ソースをじゃぶとかけたら、後は一気呵成にかっこむだけ。健啖家は、見ているだけでも爽快だ。ところで、あのCMを見たドイツ人がイヤそうな顔をした。音を立てて物を食べることに抵抗があったわけだが、ビール天国のドイツのCMでは、咽喉を鳴らしてビールを飲むシーンなども皆無だという。日本だって、昔は蕎麦以外は音を立てないで食事をするのが礼儀だった。それが、いつしか安きに流れはじめている。で、もう一つの余談。私はアジフライにソースはかけない。醤油を使う。好みの問題だが、何かと言うと醤油を使う人が、我が世代には多い。子供の頃に、ソースが出回っていなかったせいだろう。(清水哲男)


June 1361999

 柿若葉大工一気に墨打ちす

                           木村里風子

ていて面白い仕事に、プロの大工仕事がある。鉋(かんな)をかけたり鋸で引いたり、組み立てて釘を打ったりする様子は見飽きない。一つ一つの技の見事さが、心地好いのだ。技がわかるのは、見る側に曲がりなりにも同じ作業の体験があるからで、一度も鉋をかけたことがない人には、大工の鉋かけも単純で退屈な様子にしか見えないだろう。最近は見かけなくなったが、「墨打ち」にも素人と玄人との差は歴然と出る。「墨打ち」は板をまっすぐに切るために、あらかじめ墨汁を含ませた糸で板に線を引いておく作業だ。これには「墨壷(すみつぼ)」という道具を使う。「墨壷」を見たことがない読者は、手元の事典類を参照してほしい。小さな国語辞書にも、メカニズムの解説は載っている。板の上にピンと張った糸をただ弾くだけの作業だが、素人がやると付けた線の幅がなかなか一定にならず、後で鋸を使うときに往生することになる。そこへいくと句の大工の技は確かなもので、一発でぴしりときれいな線を決めた。つやつやと照り返る柿若葉の下での作者は、大工のつややかな名人技にもうっとりとしている。(清水哲男)


June 1461999

 ハンカチは美しからずいい女

                           京極杞陽

からいわれているように、女は不可解である。女は、「男の考えていることは単純で、手に取るように分かる」と考えて男を軽視し、自分たちは、不可解であることをいいことに、好きなことをし放題である。だが、男は女が考えるほど単純ではない。……と、これは実はお茶の水女子大で哲学を講じている土屋賢二氏のエッセイのイントロダクションだ。全日空のPR誌「ていくおふ」(86号)に載っていた。私などは臆病だから、怖くてとてもこんなことは言えない。が、たまに遠回しにこんな句をあげることで、単純ではない男の証明を試みてみたくはなる。ただ、よくよく考えてみると、この句もまた逆に男の単純さを証明しているだけのものかもしれない。作者は女の持つ小物にいたるまで、「いい女」としての完全性を求めているわけで、この求め方そのものが単純にして現実離れしているからである。この要求に応えられる女がいるとすれば、彼女は絵空事の世界にしか存在できないだろう。作者が「いい女」にがっかりした気持ちはわかるが、絵空事を現実化したいという欲求を、男の世界では、幼稚にして単純と評価することになっている。『但馬住』(1961)所収。(清水哲男)


June 1561999

 蛍火のほかはへびの目ねずみの目

                           三橋敏雄

の年代くらいだと、句の意味はすぐにわかる。子供の頃、蛍狩りに出ていく前に親から必ず注意されたことが、そのまま句になっているからだ。飛んでいる蛍を追いかけるのはよいが、地上の草叢などで光っているものには気をつけろ、と。もちろん単なる蛍のこともあるけれど、蛇や鼠の目のこともある。毒を持つ蛇の目は赤く光るので、とくに注意が肝要だと言われた。さすがの我ら悪童連も、蛇の怖さはよく知っているから、草叢で光るものには一切手を出さなかった。しかし、暗やみで蛇や鼠の目が発光することはないだろう。あれは、大人たちが子供に身の安全を守らせるための方便としての嘘だったのだ。そんなことは百も承知で、作者はそれを本当のこととしてこのように詠んだ。詠まれてみると、なにやら不気味な世界が、蛍火の下で実体化してくる。そこに、この句の手柄がある。ここ数年、私の住む地域でも、懸命に蛍火復活のために努力している人たちがいる。難しい条件を満たす必要があると聞くが、究極のところ、蛇や鼠の復活なしに蛍火の完全復活はありえないだろう。子供の頃に毎夏、茫然とするほどにたくさんの蛍火の明滅を見た。私は、あの記憶で十分だ。『三橋敏雄全句集』(1982)所収。(清水哲男)


June 1661999

 隣席は老のひとりのどぜう鍋

                           大沢てる子

物というと普通は冬季のものだが、「どぜう鍋(泥鰌鍋)」は夏季。暑い最中に熱い鍋をフーフーやりながら食べるのが美味いそうだが、私は一度も食したことなし。少年期を過ごした山口県の田舎には、泥鰌など自然にいくらでもいたのだけれど、食べられるとは思っていなかった。どちらかというと、川遊びの友だちのような存在だった。イナゴについても、同様だ。幼い頃からの友だちを、誰が食べようなどと思うだろうか。食べたことはないけれど、野蛮な友人たちが美味そうに食べる姿は、何度も見たことがある。あれは多分、大勢でわいわい言いながら食べるほうが似合う食べ物のようだ。それを隣席の老人は、ひとりで黙々と食べている。そんな姿が気になる細やかな感受性を私は好きだが、でも、作者もまた誰かと一緒に泥鰌を食べているのだと思うと、なんだかシラける気分にもなる。近い将来、私が独り身になることがあったら、一度は泥鰌を食べに行ってみようか。隣席に作者のような心優しい人がいるかもしれないが、なあに、こっちは生涯を掛けての大冒険のつもりなのだから、むしろ妖しい殺気のようなものを感じてほしいと思う。無理だろうな。(清水哲男)


June 1761999

 何となくみな見て通る落ち実梅

                           甲斐すず江

ばたに、いくつかの青い梅の実が落ちている。なかには人に踏まれたのか、形が崩れてしまっているものも……。それだけの情景であるが、通りかかる人はみな「何となく」見て過ぎてゆく。惜しいことにだとか、ましてや無惨なことにだとかの感情や思いもなく、ただ「何となく」見ては通り過ぎてゆくのである。三歩も行けば、誰もがみな、そんな情景は忘れてしまうだろう。こういうことはまた、他の場面でも日常茶飯的に起きているだろう。「何となく」いろいろな事物を見て過ぎて、そしてすぐに忘れて、人は一生を消費していくのだ。句は読者に、そういうことまでをも思わせる。「何となく」という言葉自体は曖昧な概念を指示しているが、作者がその曖昧性を極めて正確に使ったことで、かくのごとくに句は生気を得た。「何となく」という言葉を、作者はそれこそ「何となく」使っているのではない。情景は、その時間的な流れも含めて、これ以上ないという精密さでとらえられている。地味な句だが、私にはとても味わい深く、面白かった。『天衣(てんね)』(1999)所収。(清水哲男)


June 1861999

 鮎は影と走りて若きことやめず

                           鎌倉佐弓

京地方での鮎釣りの解禁日は秋川流域が先週の日曜日、多摩川も間もなくだ。好きな人は解禁日を待ち兼ねて、夜も眠れないほどに興奮するというから凄い。子供の遠足前夜以上。私は素早い動きの魚は苦手なので、一度も鮎を目掛けて釣ったことはない。どろーんとした鮒釣りが、子供の頃から性にあっていた。それはともかく、掲句は鮎の動きをとてもよくとらえていて素敵だ。たしかに「影」と一緒に走っている。しかも単なる写生にとどまらず、「若きことやめず」と素早く追い討ちをかけたところが見事。若さは、影にも現われる。人間でも、化粧もできない影にこそ現われる。しかも、鮎は「年魚」とも言われるように、その一生は短い。だからこそ、今の若さが鮮やかなのだ。句には、佐藤紘彰の英訳がある。俳誌「吟遊」(代表・夏石番矢)の第二号に載っている。すなわち"A sweetfish runs with its shadow ever to be young"と。以下、私見。……間違いではないんですけどねエ、なんだかちょっと違うんですよねエ。第一に、鮎が露骨に単数なのが困る。"sweetfish"が"carp"のように単複同一表記なのは承知しているが、ここはやっぱり"Sweetfish"と出て、一瞬単複いずれかと読者を迷わせたほうがベターなのではないかしらん。『潤』(1984)所収。(清水哲男)


June 1961999

 川ばかり闇はながれて蛍かな

                           加賀千代女

代女は、元禄から安永へと18世紀の七十三年間を生きた俳人。加賀国松任(現・石川県石川郡松任町)の生まれだったので、通称を「加賀千代女」という。美人の誉れ高く、何人もの男がそのことを書き残している。若年時の「朝顔に釣瓶とられてもらひ水」の心優しさで世に知られ、しきりに喧伝もされた。二百余年後に生まれた私までもが、ついでに学校で教えられた。さて、句の川は何処の川かは知らねども、往時の普通の川端などは真の闇に包まれていたであろう。川面で乱舞する蛍の明滅が水の面をわずかに照らし、かすかなせせらぎの音もして、そのあたりは「川ばかり」という具合だ。このときに、しかし川の流れは、周辺の闇と同一の闇がそこだけ不思議に流れているとも思えてくる。闇のなかを流れる闇。現代詩人がこう書いたとすれば、それは想像上のイメージでしかないのだけれど、千代女の場合はまったき実感である。その実感を、このように表現しえた才能が凄い。繰り返し舌頭に転がしているだけで、句は私たちの心を江戸時代の闇の川辺に誘ってくれるかのようである。寂しくも豊饒な江戸期の真の闇が、現代人の複雑ながらも痩せ細った心の闇の内に、すうっと流れ込んでくるようである。『千代尼句集』所収。(清水哲男)


June 2061999

 ラムネ玉河へ気づかぬほどの雨

                           北野平八

光地でか、それとも吟行先でか。いずれにしても、大の大人がラムネの壜を手にするのは、日常的な時間のなかでではないだろう。どんよりと曇った蒸し暑い昼下がり。休憩所か食事処かで、ちょっとした茶目っ気に懐しさも手伝って、作者はひさしぶりに飲んでみた。子供の頃の、遠い日の味がよみがえってくる。眼前を悠々と流れる河面を、ラムネ玉を鳴らしながら見るともなしに見ているうちに、ふと細かい雨が降りだしたのに気がついた。よく目をこらさないと「気づかぬほどの雨」である。事実、同行者の誰もがまだ気づいていないようだ。みな、賑やかに笑い合ったりしている。べつに細かい雨などどうということもないのだが、このように人はふと、ひとり意識が交流の場からずれることがある。その淡くはかない哀歓の訪れた束の間の時間を、作者はのがさなかった。北野平八得意の芸である。「ラムネ」という名称の由来は、レモネードからの転訛(てんか)説が有力だ。最近はプラスチック製の瓶が出回っているようだが、あれはやはりガラス壜でないと感じが出ない。『北野平八句集』(1987)所収。(清水哲男)


June 2161999

 青山椒雨には少し酒ほしき

                           星野麥丘人

れようが降ろうが、年中酒を欲する人の句ではないだろう。私は年中欲するが、ビールに限るのであって、日本酒は一年に一度飲むかどうかくらい(それも義理で)のところだ。友人に不思議がられるが、相手が日本酒になると下戸同然ということである。同様に、焼酎もウィスキーも飲まない。いや、飲めない。そんな私だが、この句を読んだ途端に日本酒を飲みたくなった。作者と同様に、少しだけだけれど……。雨の庭の青山椒(あおさんしょう)は美しい。が、この句は夕餉の食卓に、青山椒の佃煮か何かが出された故の発想ではなかろうか。晩酌の習慣のない作者が、思わずも日本酒を飲みたくなったのは、たぶん急な梅雨寒のなかで、少し身体を温めたいと思っていたからに違いない。そこに、青山椒の佃煮か何かが出てきた。夜の表は、なお降り続いている雨である。作者の連想は、昼間の雨の庭の美しい青山椒の姿へと自然につながっていく。そこで文字通り情緒的に、一杯ほしくなったというところだろう。うっとおしい梅雨時の情緒は、かくありたいものだ。ぽっと、心の暖まる一句。(清水哲男)


June 2261999

 高窓や紅粛々と夏至の暁け

                           赤城さかえ

至は、北半球で昼間が最も長い日。昔、その理屈も教室で習った。太陽が夏至点に達し、天球上最も北に片寄るので云々と。当ページを書いていて思うことの一つに、学校ではずいぶんと色々なことを、過剰なほどに習ったということがある。ただし、習った記憶だけはあるのだが、習った中身をずいぶんと忘れてしまっているのが、とても残念だ。夏至の理屈も、私にはその一つ。夏至がめぐってくるたびに、理屈を本で調べ直す始末である。大枝先生、ごめんなさい。でも、調べる年はまだよいほうで、たいていの年には「夏至」なんぞ忘れている。ラジオの仕事に関わっているので、局に行ってからはじめて「夏至」と知ることも多い。そこへいくと、さすがに俳人の季節に対する意識は強烈だ。句のように、夜が暁け(あけ)てくるときには、既に「夏至」を意識しているのだから……。皮肉ではなくて、できれば私も、これからは「粛々と」(これも皮肉ではない)この作者のようにありたいと願う。暦の上で、「夏至」は夏の真ん中だ。せっかく生まれてきたのだから、ジャイアンツの誰かさんのように、ど真ん中の直球をぼおっと見送って三振したくはない。(清水哲男)


June 2361999

 梅雨晴や野球知らねばラヂオ消す

                           及川 貞

だドーム球場がなかったころ、梅雨時の野球ファンは大変だった。観に行く予定のある場合はもちろんだが、試合が予定されている各地の天候が気になって、それこそラジオの天気予報に一喜一憂したものである。予報で雨と告げられても、往時の天気予報は当たらないことが多かったので、試合をやっているのではないかと、その時間には念のためにラジオのスイッチを入れるのが常だった。句の作者は、まったく逆の立場である。番組表では野球中継が予定されており、梅雨の晴れ間でもあるけれど、ひょっとしたら野球は中止されていて、いつもの好きな番組が放送されているのではないかとラジオをつけてみた。でも、やっぱり野球をやっている。あちこちダイヤルを回してみても、どこもみな野球放送ばかりだ。がっかりして、消してしまった……。あるいは、それほどでもなくて、なんとなくラジオを聞きたくなっただけなのかもしれないが、いずれにしても、梅雨晴をめぐっての小さなドラマがここにある。ベテランのスポーツ記者のなかには、けっこう梅雨好きという人がいたりする。雨になると、昔は必ず仕事が休みになったからだ。(清水哲男)


June 2461999

 茄子もぐは楽しからずや余所の妻

                           星野立子

子の父親である虚子の解説がある。「郊外近い道を散歩しておる時分に、ふと見ると其処の畠に人妻らしい人が茄子をもいでおる。それを見た時の作者の感じをいったものである。あんな風に茄子をもいでおる。如何に楽しいことであろうか、一家の主婦として後圃(こうほ)の茄子をもぐということに、妻としての安心、誇り、というものがある、とそう感じたのである。そう叙した事に由ってその細君の茄子をもいで居るさまも想像される」(俳誌「玉藻」1954年一月号)。その通りであるが、その通りでしかない。どこか、物足りない。作者がわざわざ「余所(よそ)の妻」と強調した意味合いを、虚子が見過ごしているからだと思う。作者は、たまたま見かけた女性の姿に、同性として妻として鋭く反応したのである。おそらくは一生、彼女は俳句などという文芸にとらわれることなく生きていくに違いない。そういう人生も、またよきかな。私も彼女と同じように生きる道を選択することも、できないことではなかったのに……。という、ちょっとした心のゆらめき。戦争も末期の1944年の句とあらば、なおさらに運命の異なる「余所の妻」に注目しなければならないだろう。『笹目』(1950)所収。(清水哲男)


June 2561999

 古日傘われからひとを捨てしかな

                           稲垣きくの

立てに、いつの間にか使わなくなった日傘が立ててある。気に入っていたので、処分する気にならぬままでいたのだが、もう相当に古びてしまった。普段はさして気にもならないのだけれど、日傘の季節になると、かつての恋愛劇を思い出してしまう。あのときは、きっぱりと私の方から別れたのだ。捨てたのだと……。その人のことを懐しむというのではなく、若き日の自分の気性の激しさに、あらためて感じ入っているというところだ。たしかに我がことには違いないが、どこか他人事のような気もしてくる。「捨てしかな」という感慨に、帰らぬ青春を想う気持ちも込められている。松浦為王に「日傘開く音はつきりと別れ哉」があり、こちらは未練を残しつつも捨てられた側の句だ。あのときの「パチン」という音が、いまだに耳に残っている。二人の作者はもとより無関係だが、並べてみると、なかなかに切ない。日傘一本にも、ドラマは染みつく。女性の身の回りには小物も多いので、この種のドラマを秘めた「物」の一つや二つは、処分できないままに、さりげなくその辺に置いてあるのだろう。下衆(げす)のかんぐりである。(清水哲男)


June 2661999

 モナリザに仮死いつまでも金亀子

                           西東三鬼

亀子(こがねむし)は、別名を「ぶんぶん」「ぶんぶん虫」などとも言う。金亀子は体色からの、別名はやたらにうるさい羽音からの命名だ。故郷の山口では、両者を折衷して「かなぶん」と呼んでいた。この虫は、燈火をめがけて、いきなり部屋に飛び込んでくる。で、電灯か何かに衝突すると、ぽたりと落ちて、今度は急に死んだふりをする。まことに、せわしない虫だ。作者の目の前には見事に死んだふりの金亀子と、部屋の壁ではモナリザが永遠の謎の微笑を浮かべている。さあて、この取り合わせは実にいい勝負だなと、腕組みをして眺めながら、作者は苦笑している。ところで、生きていくための死んだふりとは、奥深くも謎めいた自然の智恵だと思う。金亀子の天敵は何なのだろうか。そういえば「コガネムシハ、カネモチダ。カネクラタテタ、クラタテタ……」という童謡があった。人間の金持ちも「喧嘩せず」などとうそぶきながら、しばしば死んだふりをする。こちらの天敵が、国税庁国税局の「マルサ」であることは言うまでもあるまい。(清水哲男)


June 2761999

 瓜の種噛みあてたりし世の暗さ

                           成田千空

は瓜といえば「胡瓜(キュウリ)」をさしたそうだが、今では瓜類の総称とする。「トウナス」も「ヘチマ」も瓜である。作者は現代の人だから、この場合は「マクワウリ」だろう。種をちゃんとよけて食べたつもりが、噛みあててしまった。その不愉快な気持ちが、「そう言えば」と世の中の暗さに行きあたっている。最近はロクなことがない、イヤな世の中だと独白したのかもしれない。ところで、作者の言う「世」とは、何をどのようにさしているのだろうか。普通に読んで「世の中」や「世間」、あるいは「社会」と受け取れるのだが、それはそれとして「世」ほどに厄介な概念も少ないなと、いつも思う。例えば私が「世」と言うときに、私の指示する「世」と相手が受けとめる「世」の概念とは、必ずしも符合するとは限らないからだ。「世」のひろがりを自然に世界情勢に結びつける人もいれば、ひどく狭い範囲でとらえる人もいる。お互いに「暗いね」とうなずきあっても、本当はうなずきあったことにはならない。滑稽ではあるが、こういうことは「世の中」でしょっちゅう起きている。ま、「世の中」とはそうしたものかも……。(清水哲男)


June 2861999

 葛餅や小浜置き屋の箱はしご

                           平野紀美子

を味わうには、いささかの知識が必要だ。なぜ「小浜」という地名が必要なのか。角川版歳時記が載せている句だけれど、解説を読んでもさっぱりわからない。亀戸天神や川崎大師の葛餅(くずもち)が有名と書いておきながら、いきなりの例句が「小浜」では困るのである。菓子類にうとい私などには、チンプンカンプンだ。ただ、句の姿が美しく思えて、意味もわからずに覚えてはいた。で、最近の新聞(「産経」1999年6月22日付夕刊)の特集を見て、疑問は氷解。福井県の「小浜」が「葛まんじゅう」の名産地として紹介されていたからだ。亀戸天神などの葛餅とは違って、葛饅頭には餡が入っている。それを作者は別種である「葛餅」と表現したのである。単なる錯覚か、故意の言い換えかは知らない。いずれにせよ、角川の歳時記には「葛饅頭」の項目もあるのだから、引用するのなら、そのことを断っておくべきだった(と、人の過ちを言えた義理でもないけれど)。昔ながらの芸妓の「置き屋」の雰囲気を、葛餅と「箱はしご」(下側部を戸棚や引き出しなどに利用した階段)を配して、絵葉書的ながらも上手に表現した句と言えよう。道具立ての妙だ。(清水哲男)


June 2961999

 見て覺え見て覺え今日沙羅の花

                           後藤夜半

羅(さら)の花は椿のそれに似ていることから、別名を「夏椿」とも言う。「沙羅双樹」は別種。花の名前を覚えるのは、なかなか大変だ。結局は、作者のように何度も見て記憶するしか方法がないわけだが、なにせ季節物なので、次の年に開花したときには忘れていたりする。その反面、めったに咲かない「月下美人」などの珍花(?!)は、一度見ると、もう忘れない。しかし、なかには何故か自分だけに覚えにくい花の種類もあるようで、一所懸命に何度も覚えるのだが、いつの間にか記憶が失せてしまうのだ。作者にとっての沙羅は、そういう花だったのかもしれない。句の「今日」を、今日こそは覚えるぞという「今日」ととらえると、作者の気合いが伝わってきて好もしい。若い女性的に言うと「カッワイイー」というニュアンスもある。句作当時の夜半の年齢は、八十歳くらいか。そのことを思うと、おのずからまた別の感慨もわいてくる。比べれば、私などはまだ小僧の年齢だ。負けてはいられない。よく見て、ちゃんと見て、しっかりと覚えよう。『底紅』(1978)所収。(清水哲男)


June 3061999

 還暦を過ぎし勤めや茄子汁

                           前川富士子

者本人が、還暦を過ぎているわけではないだろう。そんな気がする。自分を詠んだとすると、素材が付き過ぎていて面白くない。夫か、父親か。作者は、今日も、その人のための朝餉を用意している。この季節になると、いつも当たり前のように茄子汁(なすびじる)を出してきた。出された人は黙々と食べ、いつもの時刻に今朝もまた出勤していく。何十年も変わらぬ夏場の茄子汁であり朝の情景であるが、黙々と食べて出勤していく人は、いつしか還暦を過ぎてしまった。変わらない食卓と、変わらないようでいて変わっていく人のありよう……。そこにさりげない視点を当てた、鋭い句だ。還暦を過ぎた私の日常も、半分は勤め人みたいなものだから、句を読んでドキリとさせられるものがあった。若いつもりではいても、このように見ている人にかかっては、当方の内心など何も関係はないのだ。だから「ご苦労さま」でもないし「そろそろ退職を考えては……」でもない、実にクールなところを評価したい。ここでベタベタしてしまっては、いつもと変わらぬせっかくの「茄子汁」の味が落ちてしまう。(清水哲男)




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