山形県が「正面捕球不適切」等の野球指導マニュアル作製。そうかなア。入手したい。




1999ソスN6ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0361999

 はたらいてもう昼が来て薄暑かな

                           能村登四郎

ほど体調がよいのだろう。仕事に集中できているから、あっという間に時間が経ってしまう。ふと空腹を覚えて時計を見ると、もう昼時である。表の陽光には、既に夏に近いまぶしさが感じられる。心身ともに心地好い充実感で満たされた一句だ。しかし同日の同じ職場にも、一方では「まだ昼か」と、時間の経過を遅く感じている人もいただろう。人それぞれの時間感覚は、それこそそれぞれに違っていて面白い。たとえば、妙に就寝時刻にこだわる人もいる。日付が同じ日のうちに床につくと、何だかとても損をしたような気になる人は結構多い。たとえ5分でも10分でも明日まで起きていないと、気がすまないのである。でも、他人のことは笑えない。私の場合は、表の明るさにこだわる性質(たち)だからだ。表が明るくなっても寝ているのは、とても損な気がしてならない。だから、夏場になると、どんどん早起きになる。昼寝も、なるべくしないようにする。理由は考えたこともないのだけれど、ひょっとすると代々受け継いできた農民の血のせいなのかもしれぬ。と、時々そう思ったりする。『人間頌歌』(ふらんす堂文庫・1990)所収。(清水哲男)


June 0261999

 万緑に黄に横に竹四つ目垣

                           上野 泰

覚的に面白い句。「黄に横に竹四つ目垣」の、それぞれの漢字をよく見てみると、ほとんどが縦横に垂直な線で構成されていて、なるほどいかにも「四つ目垣」である。さしたる発見もない句だけれど、なんとなく可笑しい。句の背後で、きっと作者もほくそ笑んでいることだろう。気取って読むと、モンドリアンの絵画にも通じる構成の妙ありとでも言いたくはなるが、ま、この読み方はいささか牽強付会に過ぎる。とりあえず、こういう俳句も「あり」ということだ。昨今はブロック塀の進出が著しく、四つ目垣も昔のようには見られなくなった。そもそも家庭の垣根という発想やオブジェが都会の産物であり、他の産物と同様に、垣根もまた都会の文法の変化とともに変わっていく。ちかごろの都会の自治体では、町に「緑を取り戻す」ために、ブロック塀から四つ目垣などに作り替える家には助成金を出すところも出てきた。しかし、こうした助成金は作り替えるときの費用の一部になるだけなのであって、その後の垣根の手入れなどについてまで面倒を見ようとはしていない。これでは、簡便なブロック塀に勝てるわけがない。「黄に横に竹四つ目垣」の景観を再現したいのならば、この他にも考えるべき点は山ほどある。『佐介』(1950)所収。(清水哲男)


June 0161999

 嘘ばかりつく男らとビール飲む

                           岡本 眸

ろいろな歳時記に載っている。ビールの句には、なかなかよい作品がないが、この句は傑作の部類に入るだろう。しかし、なぜか作者の自選句集からは削除されている。「男ら」とぼかしてはあっても、やはりさしさわりがあるためなのだろうか。作者とは無関係の「男ら」の一人としては、まあ「嘘ばかりつく」わけでもないけれど、女性が同席していると、ついつい格好をつけて大言壮語に近い発言はしたくなる。できもしないことを言ったり、過去を美化したりと、要するに女性に受けようと懸命になるわけだ。それを、こんなふうに見透かされていたのかと思うと、ギョッとする。うろたえる。だから、傑作なのだ。歳時記の編者はたいていが男なので、ギャフンとなって採り上げざるをえなかったのだろう。作者が考えている以上に、男はこうした句におびえてしまう。ただし、酒の席での男の欠点にはもう一つあって、嘘よりもこちらのほうが女性には困るのではあるまいか。すなわち、やたらと知識をひけらかし、何かというと女性に物を教えたがるという欠点。そんな奴に、いちいち感心したふりをして相槌を打つ女性もいけないが、調子に乗る男はもっと野暮である。たまに、私もそうなる。夕刻の「ちょっとビールでも」の季節にも、いやはや疲れる要因はいくらでもあるということか。(清水哲男)




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