外出予定なしの日曜日は何週間ぶりだろう。書くべき原稿が山ほどある幸せと不幸せ。




1999ソスN6ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0661999

 衣紋竹片側さがる宿酔

                           川崎展宏

飲みならば、膝を打つ句。ただし、現在ただいま宿酔(二日酔い)中の人が読むと、ますます気分の悪くなる句だ。衣紋竹(えもんだけ)は竹製のハンガーで、昔はどの家にも吊るされていた。涼しげなので夏の季語としてきたが、今では収録していない歳時記もある。現物が、ほとんど見られなくなったからだろう。深酒から目覚めて、ずきずきする頭のまま室内を見るともなく見回していると、傾いた衣紋竹に目が留まった。乱雑に、半分ずり落ちそうに、自分の衣服が掛けてある。そこに昨夜の狼藉ぶりが印されているようで、作者は後悔の念にとらわれているのだ。あんなに調子に乗って飲むんじゃなかった、そんなに楽しくもなかったのに……。もとより、私にも何度も覚えがある。ところで、二日酔いを何故「宿酔」と表現するのだろうか。「宿」の第一義は「泊る」であり、「泊る」とはずうっとそこに留まることだ。そこで、二日酔いは前日の酔いが留まっていることから「宿酔」。つまり、自分の身体が酒の宿屋状態になっている(笑、いや苦笑)わけだ。「宿題」や「宿敵」の「宿」と同じ用法である。『義仲』(1978)所収。(清水哲男)


June 0561999

 ジーンズに腰骨入るる薄暑かな

                           恩田侑布子

手いなア。洗いたてか、新調か。ごわごわしたジーンズを穿くときには、たしかにこんな感じになる。ウエスト・ボタンをかけるときの、あのキュッと腰骨を締め上げる感覚が、これから夏めいてきた戸外に出ていく気分とよくマッチしていて、軽快な句に仕上がっている。極めて良質な青春句だ。ジーンズといえば、私は一年中ジーンズで通している。親しかった人の葬儀にも、ジーンズで出かける。これだと、黒づくめの集団に埋没することなく、故人がすぐに私を識別できると思うからだ。変わっていると言われるけれど、急に真っ黒なカラスに変態する人のほうが、よほど変わっている。こんな具合で、室内着兼外出着兼礼服兼……と、三十代からずっとそうしてきた。会社勤めのころには、いっぱしにスーツやネクタイに凝ったこともあったけれど、一度ジーンズの魅力に取りつかれてしまうと、ネクタイ趣味など金がかかるだけで愚劣に思えてくるのだった。作者の場合のジーンズは気分転換のためだが、私の場合は、気分の平衡感覚を崩さないためである。スヌーピーの漫画に出てくる「ライナスの毛布」のようなものかもしれない。ということは、精神的に幼いのかなア。(清水哲男)


June 0461999

 君地獄へわれ極楽へ青あらし

                           高山れおな

山れおな(本名)は、本年度「スウェーデン賞」(宮城県中新田町の賞)の受賞俳人。男性。句の漢字と平仮名の字配りを見てもわかるように(「青嵐」ではなく「青あらし」と平仮名にこだわるところ)、なかなかに言語感覚に優れた人だと思う。いわゆるセンスがいいのだ。句の中身を「いい気なものだ」と思ったら、間違いである。「地獄」行きであれ「極楽」行きであれ、どうせ死んだら同じことだと、作者はすがすがしい青嵐のなかで感じているだけのことなのだから……。「地獄」と「極楽」に分かれるということは、現世でしか一緒にいられないという思いを強くしていることでもある。君を「地獄」行きと言っているのは、自分を「地獄」行きと規定したら「詩」にならないとわかっているからだ。本当は、どっちだっていいのだけれど、作者はみずからの「詩」の発現のためにだけ、こう詠んでいる。この人の俳句としては、必ずしも良い出来ではないかもしれない。が、私はこの飛び上がり方が、今後の俳句界にはよい影響をもたらすような気がしている。『ウルトラ』(1998)所収。(清水哲男)




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