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1999ソスN6ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1361999

 柿若葉大工一気に墨打ちす

                           木村里風子

ていて面白い仕事に、プロの大工仕事がある。鉋(かんな)をかけたり鋸で引いたり、組み立てて釘を打ったりする様子は見飽きない。一つ一つの技の見事さが、心地好いのだ。技がわかるのは、見る側に曲がりなりにも同じ作業の体験があるからで、一度も鉋をかけたことがない人には、大工の鉋かけも単純で退屈な様子にしか見えないだろう。最近は見かけなくなったが、「墨打ち」にも素人と玄人との差は歴然と出る。「墨打ち」は板をまっすぐに切るために、あらかじめ墨汁を含ませた糸で板に線を引いておく作業だ。これには「墨壷(すみつぼ)」という道具を使う。「墨壷」を見たことがない読者は、手元の事典類を参照してほしい。小さな国語辞書にも、メカニズムの解説は載っている。板の上にピンと張った糸をただ弾くだけの作業だが、素人がやると付けた線の幅がなかなか一定にならず、後で鋸を使うときに往生することになる。そこへいくと句の大工の技は確かなもので、一発でぴしりときれいな線を決めた。つやつやと照り返る柿若葉の下での作者は、大工のつややかな名人技にもうっとりとしている。(清水哲男)


June 1261999

 アジフライにじゃぶとソースや麦の秋

                           辻 桃子

題は「麦の秋」で、夏。「秋」を穀物の熟成する時期ととらえることから、夏であっても「麦の秋」と言う。麦刈りの人の昼食だろうか。あるいは、労働とは無関係な人の、一面に実った麦を視野に入れながらの食事かもしれない。空腹の健康とたくましい麦の姿が、よく照応している。「さあ、食べるぞ」という気持ちが活写されていて、気持ちのよい句だ。ひところ話題になった「お茶漬けの友」のテレビCMの雰囲気に同じである。ソースをじゃぶとかけたら、後は一気呵成にかっこむだけ。健啖家は、見ているだけでも爽快だ。ところで、あのCMを見たドイツ人がイヤそうな顔をした。音を立てて物を食べることに抵抗があったわけだが、ビール天国のドイツのCMでは、咽喉を鳴らしてビールを飲むシーンなども皆無だという。日本だって、昔は蕎麦以外は音を立てないで食事をするのが礼儀だった。それが、いつしか安きに流れはじめている。で、もう一つの余談。私はアジフライにソースはかけない。醤油を使う。好みの問題だが、何かと言うと醤油を使う人が、我が世代には多い。子供の頃に、ソースが出回っていなかったせいだろう。(清水哲男)


June 1161999

 紫陽花や白よりいでし浅みどり

                           渡辺水巴

陽花(あじさい)は、別名を「七変化」とも言うように、複雑に色を変えていく。薄い緑色から白色、青色、そして紅紫色といった具合だ。句では「白よりいでし浅みどり」と変化過程にある紫陽花の一時期の色を詠んでいて、雑に読むと錯覚しやすいが、この「浅みどり」が薄い緑色ではないことがわかる。「白」の次は「青」でなければならないからだ。『広辞苑』を引くと「浅緑」には薄い緑色の意味の他に「薄い萌黄色」と出ている(「空色」とも)。この「萌黄色」がまた厄介で、黄緑色に近い色と受け取ると間違いになる。藍染めに源を持つ色彩に「浅黄色」があり、「薄い萌黄色」はこれに近い。つまり「薄い水色」だ。中世で「浅黄色」というと、薄い青色のことを指した。したがって、いまでは「浅黄色」と書かずに、青を強調して「浅葱色」と表記するのが一般的になっている。私たちが交通信号の「緑」を平気で「青」と言うように、日本人の色意識には、「緑」と「青」の截然とした区別はないのかもしれない。なんだかややこしいが、他にも日本の色の名前には面白いものがたくさんある(翻訳はなかなかに困難だ)。白秋の「城ケ島の雨」の英訳があって、外国人が歌っているのをレコードで聞いたことがある。「利休鼠の雨が降る」をどう訳していたのだったか。忘れてしまったのが残念だが、たしか「RAT」という言葉は入っていたように思う。『水巴句集』所収。(清水哲男)




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