傘嫌い。なんとか持たないですむように努力し、努力しつつ濡れている努力とは何か。




1999ソスN6ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2661999

 モナリザに仮死いつまでも金亀子

                           西東三鬼

亀子(こがねむし)は、別名を「ぶんぶん」「ぶんぶん虫」などとも言う。金亀子は体色からの、別名はやたらにうるさい羽音からの命名だ。故郷の山口では、両者を折衷して「かなぶん」と呼んでいた。この虫は、燈火をめがけて、いきなり部屋に飛び込んでくる。で、電灯か何かに衝突すると、ぽたりと落ちて、今度は急に死んだふりをする。まことに、せわしない虫だ。作者の目の前には見事に死んだふりの金亀子と、部屋の壁ではモナリザが永遠の謎の微笑を浮かべている。さあて、この取り合わせは実にいい勝負だなと、腕組みをして眺めながら、作者は苦笑している。ところで、生きていくための死んだふりとは、奥深くも謎めいた自然の智恵だと思う。金亀子の天敵は何なのだろうか。そういえば「コガネムシハ、カネモチダ。カネクラタテタ、クラタテタ……」という童謡があった。人間の金持ちも「喧嘩せず」などとうそぶきながら、しばしば死んだふりをする。こちらの天敵が、国税庁国税局の「マルサ」であることは言うまでもあるまい。(清水哲男)


June 2561999

 古日傘われからひとを捨てしかな

                           稲垣きくの

立てに、いつの間にか使わなくなった日傘が立ててある。気に入っていたので、処分する気にならぬままでいたのだが、もう相当に古びてしまった。普段はさして気にもならないのだけれど、日傘の季節になると、かつての恋愛劇を思い出してしまう。あのときは、きっぱりと私の方から別れたのだ。捨てたのだと……。その人のことを懐しむというのではなく、若き日の自分の気性の激しさに、あらためて感じ入っているというところだ。たしかに我がことには違いないが、どこか他人事のような気もしてくる。「捨てしかな」という感慨に、帰らぬ青春を想う気持ちも込められている。松浦為王に「日傘開く音はつきりと別れ哉」があり、こちらは未練を残しつつも捨てられた側の句だ。あのときの「パチン」という音が、いまだに耳に残っている。二人の作者はもとより無関係だが、並べてみると、なかなかに切ない。日傘一本にも、ドラマは染みつく。女性の身の回りには小物も多いので、この種のドラマを秘めた「物」の一つや二つは、処分できないままに、さりげなくその辺に置いてあるのだろう。下衆(げす)のかんぐりである。(清水哲男)


June 2461999

 茄子もぐは楽しからずや余所の妻

                           星野立子

子の父親である虚子の解説がある。「郊外近い道を散歩しておる時分に、ふと見ると其処の畠に人妻らしい人が茄子をもいでおる。それを見た時の作者の感じをいったものである。あんな風に茄子をもいでおる。如何に楽しいことであろうか、一家の主婦として後圃(こうほ)の茄子をもぐということに、妻としての安心、誇り、というものがある、とそう感じたのである。そう叙した事に由ってその細君の茄子をもいで居るさまも想像される」(俳誌「玉藻」1954年一月号)。その通りであるが、その通りでしかない。どこか、物足りない。作者がわざわざ「余所(よそ)の妻」と強調した意味合いを、虚子が見過ごしているからだと思う。作者は、たまたま見かけた女性の姿に、同性として妻として鋭く反応したのである。おそらくは一生、彼女は俳句などという文芸にとらわれることなく生きていくに違いない。そういう人生も、またよきかな。私も彼女と同じように生きる道を選択することも、できないことではなかったのに……。という、ちょっとした心のゆらめき。戦争も末期の1944年の句とあらば、なおさらに運命の異なる「余所の妻」に注目しなければならないだろう。『笹目』(1950)所収。(清水哲男)




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